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イッセイエッセイ

762号 キッシンジャー回想録(「On China」2011年 塚越敏彦他訳 岩波書店 2012年3月)

2013年01月15日(火)

 キッシンジャー博士の新著「キッシンジャー回想録中国 On China」は、キッシンジャー博士が米国と中国の関係をめぐる外交、その分析と将来のあるべき姿を論じたものである。
 本書についての客観的な位置づけをしたい場合は、巻末に書かれた「米中関係を構築し続ける男-『密使』から『守護者』への軌跡-」と題する松尾文夫氏の的確な解説によることで、目的をはたすことができる。
 また解説では、本書は米国と中国の問題の理解のみならず、日中および日米関係、つまり我が日本外交の現実を見つめるための参考ともなると付言している。
 まず松尾氏の解説のポイントをみてみよう。

 キッシンジャー博士(中国語表記 基辛格)が著した本書は、多くの顔(側面)をもつと解説する。
 第一の顔は、過去40年余にわたり、米中関係に係わってきた著者の自伝的な記録。ハイライトは1971年の北京秘密訪問。そして中ソ国境紛争をきっかけとした、米国側の中立的立場から対ソ戦略的行動への移行、両国のベトナム戦争と文化大革命からの転換、著者と周恩来との秘密会談の成功。
 第二の顔は、キッシンジャー博士が米日外交問題で現在まで引きつづき重要な舞台回しをしているという事実。ニクソン、フォード、カーターとつづく歴代政権の国務長官としての実績、71年米中友好ドラマの主人公であった毛沢東などの亡き後も、華国鋒、鄧小平、胡輝邦、趙紫陽、江沢民、胡錦濤そして現在の習近平に至る中国側指導者たちと、博士は様々な顔で互いの利益の「守護者」として緊密な接触(現在89歳)を有していること、毛沢東にプラグマティストとしての姿をも与えた鄧小平の開放政策と彼の勇気に対する博士の評価、北京との蜜月に対する米保守派の批判と博士の反批判論。
 第三の顔は、19世紀以降の外交史専門家としてのキッシンジャー博士の理論と実践。松尾氏から伺った話しでは、キッシンジャー氏はメッテルニッヒの著名な研究者であり、メッテルニッヒを高く評価しているとのことである。米国のネオコン勢力と中国側の勝利至上主義の対立からくる第一次大戦前的な現象に対する博士の警告。しかし中国が貧困と高齢化という国内問題を抱える国家であり、世界支配に乗り出すことはないという楽観的観測。両者が協力して自国問題の解決と対立の抑制、最終目標として米国が「アジア国家」であるという明確な認識の下に、日本も含め中国に対し「太平洋共同体」を提唱(オバマ大統領の2011年の「太平洋国家」の再宣言はこの博士の考えに近い)。
 さらにキッシンジャー博士は、今後二つの長期的懸念があるとのべる。一つは人民元の引上げ問題の遅れと米国雇用への影響、二つは朝鮮半島情勢の不安定化、内部崩壊の可能性と核武装の危機。
 こうしたまとめをした上で松尾氏は、キッシンジャー博士がこれまで構築してきた米中関係の脈絡において、「日米関係」がどういう位置づけにあるかを、日本としても正確に認識しなければならないとする。
 とくに米国の外交文書からわかることは、「日米安保条約」が日本軍国主義の後援を阻止する上でも有用であり、ソ連(ロシア)との対決のためにも日本を味方につけておく価値あり、という点が米中の相互理解であると指摘する。
 ちなみに松尾文夫氏が解説の中でとりあげている1973年11月の毛沢東・キッシンジャー会議においては、日米安保体制は米中和解の「引出物」として扱われている。【P.308】
 そして最後に、「日米よりも69年前に始まった米中関係」という視点でもって、解説をしめくくっている。
 なお、五人の翻訳者代表である塚越敏彦氏(共同通信北京支局長など歴任)は「訳者あとがき」で、キッシンジャー博士がさまざま述べる「中国の特異性」とは次のような考え方であるとしている。

(1)中国は、長い歴史を持つために、過去の出来事や教訓から物事を判断する
(2)自らを世界の中心であり卓越した存在と考える
(3)時間の概念が長く、相手に対し長期戦略による相対的優位を追及する
(4)西欧流の近代化は、中国の文明や社会秩序を損うと考えている
(5)本能的に自主更生、自給自足の独自性を主張する
(6)侵入した異民族を中国化させるような文化力や忍耐力をもつ
(7)事物は流動的、相対的であり、矛盾や不均衡の存在は自然であると考える
(8)完全な征服より調和を、直接的な勝利より心理的優位を狙う
(9)米国とは異なり、自らの価値観を世界に広めようとはしない

 なお以下に、キッシンジャー氏の中国観、日本観に関するところを本書からやや無作為、便宜的に抜粋した。これは上記の要約に具体感を与えるためのものにすぎない(引用部分の表題は小生)。

□著者は中国をどんな国とみているか
・米国の特異性はその伝道好きにあって、自らの価値観を世界の隅々にまで広める義務を負っているという考えを持っている。中国の特異性は文化的なもので、決して自らの考えを変えず、自分たちの制度が中国以外で通用するとも主張しない。(中略)かつては中国の文化や政治体制がどの程度似ているかという基準で、あらゆる国をさまざまなレベルの朝貢国として格付けしていた。別の言葉で言えば、一種の文化的普遍性を持っていたと言える。【「はじめに」 P.ⅵ】

(1962年の中印紛争における毛およびティムール時代の教訓)
・他のどの国にも1000年も前の出来事から戦略上の法則を引き出して、重要な国家政策に着手する現代のリーダーはいないだろうし、自分がほのめかしていることの意味を同僚たちが理解していると自信を持って考えるリーダーもいないだろう。だが、中国は特別だ。他のどの国でも、これほど長く続く文明を誇ることはできないし、このように遠い過去や、戦略と政治手腕についての古典的法則に、密接なつながりを持つこともないだろう。【序章 P.3】

(征服者も、中国の首都が宇宙の中心という基本に異議はとなえなかった)
・他の国々では、民族集団や地理的なランドマークに基づいて国名が付けられているが、中国は自らを「中央の王国」または「中心の国」と呼ぶ。【P.4】

(近代初期における西欧の観察者は、中国の活力と物質的豊かさに圧倒される)
・18世紀までは、中国が世界の国内総生産(GDP)合計に占めるジェアは、どの西欧国家よりも大きかった。1820年になっても、中国は世界のGDPの30%を生産していた。これは西欧、東欧、そして米国のGDPの合計を超える水準だった。【第1章 中国の特異性 P.13】

・中国は外国とも貿易しており、時には海外からの考え方や発明も受け入れた。しかし、中国人は、最も有益な財産や知的業績は、中国国内で見いだされると信じがちだった。対中貿易は非常に魅力のあるものだったので、中国のエリートたちが、それは単なる経済的な交易ではなく、中国の優越性に対する「貢ぎ物」であるとしたのも、あながち誇張とばかりは言えなかった。【P.13】

(儒教という支配的な価値観)
・中国が何千年も生き残ってきたのは、皇帝が下した刑罰のためというより、民衆や学者官僚で構成する政府が育んできた価値観を、社会が共有したおかげなのである。中国文化の独特な側面の一つは、こうした価値観が基本的に世俗的なものだという点だ。【P.14】

(中国は外国に対し、公平は与えたが、平等は与えなかった)
・中国は、これに対し、平等を前提にした他国との継続的な関係を経験したことがなかったが、これは単に、中国と比肩できるほどの文明や重要性を持つ国と遭遇したことがなかったためだった。中国の皇帝が、その地理的な領土に君臨しているということは、事実上の自然法則であり、天命の表現にほかならないと受け止められていた。皇帝にとって、この使命は必ずしも、近隣の人々との敵対的な関係をもたらすものではなく、むしろ、その逆であることが望ましかった。【P.17~18】

(近隣を中国流に変えるという関心はなかった)
・中国は米国と同様、自らが特別な役割を果たしていると考えていた。だが、中国は、自らの価値観を世界中に広めようという米国型の普遍主義を取り入れたことは一度もなかった。【P.18】

・中国流のエリート主義によって、中国は自らの思想を輸出するのではなく、相手が求めてくるようにさせた。中国人の考えによれば、近隣の国民は中国を宗主国と認めている限り、中国およびその文明との交流によって恩恵を受けているのだった。中国を宗主国と認めない者は野蛮人だった。【P.18】

(忍耐強い相対的優位のリアルポリティクス)
・孫子の教えに従った指揮官にとっては、欺きやごまかしによって間接的に達成された勝利は、優越した武力による勝利より人道的である(しかもより経済的でもある)のは事実だった。「孫子の兵法」は指揮官に対し、自分の目的を敵の指揮官に達成してもらうように仕向けるか、敵を絶体絶命の立場に追い込んで、その軍隊や国が無傷のままで降伏するように持っていけ、とアドバイスしている。【P.29】

・「孫子の兵法」は、領土の征服より、心理的な優越を重視する教えを明確に示している。【P.30】

・一般的に言って、中国の政治では、戦略的な全体像を、善悪、遠近、強弱、過去と未来が相互に関連した、一つの総体の一部として見る傾向がある。西欧では歴史は、邪悪なものや後進性に対する一連の完全な勝利を達成する、近代化のプロセスとして扱われるのに対し、伝統的な中国の歴史観は、崩壊と再生の輪廻を強調する。そこでは、自然や世界を理解することはできるとしても、完全にそれを征服することはあり得ない。最良の達成は、それと調和していくことにある。【P.30】

(外交力と忍耐力により全く新しい世界秩序に対して防衛した)
・19世紀が進むにつれ、中国は昔から抱いてきた自らのイメージに、想像できる限りのあらゆる打撃を加えられることになった。アヘン戦争以前には、中国は外交や国際貿易を、主に自らの優位性を確認する手段だと考えていた。ところが今や中国は、国内が混乱期に入ったのと同時に、三種類の外国勢力(欧州、ロシア、日本)からの挑戦に向き合わねばならなくなった。【第3章 優位から没落へ P.58】

(中国の伝統を初めて意図的に破壊した毛沢東)
・新たな統治者が社会全体の価値体系をひっくり返そうとしたことは一度もなかった。それまで天命を求めていた人々は―外国の征服者たちでさえ、そしておそらく特に彼らこそが―自分たちが取って代わった社会に古くからあった価値を支持し、その社会の原理に基づいて統治することで、自分たちを正当化した。新たな統治者たちは、他のどの国よりも人口が多く、豊かなこの国を統治することができさえするなら、引き継いだ官僚機構を維持したのだった。こうした伝統が中国化を進めるメカニズムだった。それは儒教を中国における統治の教義として確立した。【P.94】

・人民共和国のスタート時点から、中国は自らの客観的な力量を上回る国際的な役割を演じてきた。自国が歴史的に受け継いできた遺産の定義付けを断固守り抜いた結果、中華人民共和国は非同盟運動の中で影響力のある勢力となった。非同盟運動とは両超大国(米国、ソ連)の中間に自分たちを位置づけようとする、新たに独立した国々の集団の運動だった。中国は、国内では中国人としてのアイデンティティの再定義を行い、一方、外交的には二つの核保有国に挑戦することを、時には同時に、時には連続して行いながら、いい加減にあしらうことのできない大国として、自らを押し出した。【P.104~105】

(ソ連は軍事力依存の傾向があり、中国は正統性を主張する)
・毛沢東が代表していたのは、何世紀にもわたって世界で最も広大で、最もよく組織され、そして少なくとも中国人の見方では、最も慈悲深い政治制度を持つ社会だった。中国の指導者が自国民に、世界で最も偉大な人民になるように一生懸命働けと訴える時、彼は自国民に優越性を取り戻すよう強く呼びかけているのだった。中国人の歴史解釈では、その優越性は、ごく最近、そして単に一時的に、置き忘れてきただけだった。そうした国が下位のパートナーの役割を演じるのは、必然的に不可能だった。【第6章 中国と両超大国との対立 P.174~175】

(中ソ対立に対するニクソンの地政学的な決断)
・(1969年夏、中国とソ連との間で戦争の可能性を示す兆候が強まった際、)1969年8月の国家安全保障会議でニクソンは、政策とまでは言えないが、一つの姿勢を選択した。彼は、現状ではソ連がより危険な国家であり、もし中国が中ソ戦争で「粉砕」されれば、米国の国益に反するという、当時としては衝撃的な主張を表明した。(…略…)それは米外交政策において革命的な瞬間だった。[ワルシャワ大使級会談で]20年間にわたって意味のある接触をせず、[朝鮮で]戦争し、[台湾と朝鮮という]2ヵ所で軍事的対立を続けている[中国という]共産主義大国が生き延びることが、米国にとって戦略的利益になると、米大統領が宣言したのだった。【P.234~235】

(中国は文化的枠組で、米国は技術的枠組で外交)
・中国外交は、1000年に及ぶ経験から、国際問題においては、個々の問題をはっきり解決することが、大方の場合、関連する新たな一連の問題を生み出すことを学んでいた。このため中国外交では、関係を継続させることが重要な任務であり、おそらく公式文書よりも重要だと考えていた。これとは対照的に、米国外交官には問題をそれぞれの性質に応じて処理できるよう、自己完結した単位に分割する傾向がある。こうした仕事では米国外交官も、良好な人間関係を重んじる。両者の違いは、中国指導者が「友好」を個人的資質ではなく、長期にわたる文化的、民族的、あるいは歴史的なものに結び付けるのに対し、米国人は相手の個人的資質を重んじることにある。【P.265】

(鄧小平の追放者からの復活)
・中国人が強く主張する友情では、無形の価値を培うことで長期的関係を永続させようとする。一方、米国人は社会的な接触を重視し、友情を通じて進行中の活動をよりやりやすくしようとする。また、中国指導者は友人を支援したという評価を得るために、一定(無制限ではない)の代価を支払う。【P.265】

・中国人の驚くべき性格の一つに、どんなに苦しみと不当行為を自分たちの社会から被ろうと、社会への献身を忘れない、ということがある。私が知っている文化大革命の犠牲者の誰一人として、自分の苦しみを私に進んで打ち明けようとした人はおらず、あえて質問しても、最小限の答えしか戻っては来なかった。文化大革命は、ある人間のその後の人生を決定してしまったとしても、くよくよ思い悩むべき筋合いのものではなく、耐え忍ばなければならない自然災害の一種として、時にはしかめっ面をもって、扱われているのだった。【P.352】

・国家の前途をめぐる従来の議論では、中国は弱点を補強するために知識を求めて外に向かうべきか、あるいは内向きになり、たとえ技術的に強力だとしても不純である世界から距離をおくべきか、といった問いが飛び交った。現在の議論は、自国強化の大プロジェクトが成功し、中学が西側に追い付きつつあるという認識に基づいている。中国は、過去に中国をひどく虐待し、中国が現在癒しつつある被害を与えた世界―これは中国のリベラルな国際派の人たちもそう見ているのだが―と付き合っていくうえでの条件を決めようとしている。【P.546】

・中国は、生活と寿命のレベルアップと一人っ子政策のひずみとが相まって、世界で最も急速に高齢化する人口を抱える国家の一つである。中国の総労働人口は、2015年にピークを迎えると予想されている。この時点から、人口が減少する15歳から64歳の間の中国市民が、膨らみ続ける高齢人口を支える必要がある。人口の変化は急激である。2030年までに、20歳から29歳の間の地方労働者の数は、現在の水準の半分になると予測されている。2050年までには、中国人口の半分が45歳以上になり、4分の1が65歳以上になると予想されている。この時の65歳以上の人口は現在の米国の人口全体にほぼ匹敵する。

 このような大きな国内問題を抱える国家が安易に、ましてや自動的に、戦略的対立ないしは世界支配を自ら追い求めようとはしない。【P.568~569】

・米中関係を適切に表現しようとすれば、それは協力関係というよりも「相互進化」であろう。相互進化とは、両国ともに可能な領域では協力しながら自国の課題解決に取り組み、対立を最小限に抑えるように互いの関係を調整するということである。双方ともに相手の目標をすべて受け入れるわけではなく、利害の完全な一致も考えには入れないが、補完できる利害を特定し育成していくことになる。【P.570~571】

□日本をどうみているか
(中国の領土拡大意欲)
・中国と日本は文化・政治制度の核心部分の多くを共有していたが、双方とも相手の優越性を認める気がなく、時には何世紀も接触しないことが解決策だった。【第1章 中国の特異性 P.9】

・モンゴル人の征服者が宋の船隊と熟練した船長たちを指揮するようになった時、彼らは二回の日本遠征計画を実行し、二回とも悪天候、日本の伝承がいうところの「神風」に押し返された。元が滅亡すると、技術的には可能だったにもかかわらず、遠征は二度と試みられなかった。それ以来、日本列島を支配したいという意志を明確に示した中国の指導者はいない。【P.10】

・中国のほとんどの隣国と違って、日本は何世紀にもわたって中華世界の秩序に組み入れられることに抵抗してきた。最も近いところでもアジア大陸から100マイル以上離れた列島に位置する日本は、長く孤立の中で伝統と独自の文化を育ててきた。民族的にも言語的にもほぼ単一であり、日本民族は神の子孫であるという公式イデオロギーを持つ彼らは、自らの独特なアイデンティティについて、ほとんど宗教的な思いを育んできた。【第3章 優位から没落へ(日本の挑戦) P.78】

・日本の場合は、民族的、文化的な純血主義を取り、自分たちの聖なる血統の外に生まれた人々に対しては、恩恵を施すどころか、自分たちについて説明することすら拒否した。【P.78】

・他のアジア各国は、中国市場へのアクセスを確保するために、対中貿易を「貢ぎ物」として、中国の朝貢制度を受け入れていた。日本は朝貢の形をとって対中貿易をすることを拒み、中国に優越していないまでも、少なくとも対等の関係であると主張した。【P.79】

□その他
・将来の中国の政策の方向は、イデオロギーと国益から成る複合体であろう。中国との関係改善で達成されたのは、利害が一致するところでの協力を増大させ、食い違いがあるところではそれを減少させる機会が生まれたことである。国交回復の際には、ソ連の脅威が弾みとなったが、今後のより大きな課題は数十年かけて協力への信念を育て上げることであり、そうなれば新しい世代の指導者が同様の使命感を持って事に当たることができるようになる。【P.295】

・中国ほどの規模を持つ国の国内構造を外部から変えようと試みることは、さまざまな意図せぬ結果を生み出すことになりかねない。米国社会は人間の尊厳に対する信念を決して放棄してはならない。しかし、西側社会とは違った概念のもとで数千年間動いてきた文明に、人権と個人の自由に関する西側社会の概念を直接適用することは、西側の政治や報道に一定期間さらされたからといって、できるものではないだろう。【P.465】

・太平洋共同体という構想は、米国、中国、その他の諸国すべてが、共同体の平和的発展に参加するというものであり、米中両国の懸念を緩和する可能性がある。この構想によって、米国と中国を共通の活動計画の中に取り込める。共有された目的とそれを実現する作業が、一定程度は戦略的不安に取って代わるだろう。この構想によって、日本、インドネシア、ベトナム、インド、オーストラリアなど他の主要国が、「中国」と「米国」のブロックに二極化するのではなくて、合同と見なされる仕組みづくりに参加することが可能となる。関係する指導者たちがそれに全面的な関心を注ぎ、とりわけ信念を持って臨むならば、こうした取り組みは意味あるものになるだろう。【P.572】

・米中国交回復がもたらした恩恵とは、永遠に友好であるという状態でも価値観の調和でもなく、常に手をかける必要がある世界の均衡が回復されたことであり、さらには、時間が経てばおそらく価値観のより大きな調和が生み出されることになる。【P.295】

・社会が向かう基本的な方向は価値観によって形作られ、この価値観が究極的なゴールを決めることになる。同時に、自分の能力の限界を認めることは、優れた政治指導者にとっての資格試験の一つであり、そのことで、どういうことが可能であると彼が判断しているのかが、暗に示される。哲学者は自らが抱く直感に責任を持たなければならないが、優れた政治指導者は、自らが抱く概念を長期にわたって維持する能力を持つかどうかが評価の分かれ目となる。【P.465】

・北大西洋を取り巻く国家間の関係において、戦略的な対立はあり得ない。軍事的にもにらみ合いをしていない。戦略的な脅威は、大西洋の域外で生じると考えられ、その脅威には同盟の枠組みの中で対処しようとする。北大西洋の国家間では、国際問題についての評価をめぐる不一致や、それに対処する手段について、重点的に議論する傾向がある。たとえその議論が激しい論争になっても、内輪の議論という性格にとどまる。ソフトパワーと多国間外交が外交政策の主要なツールであり、西欧諸国の中には軍事行動を国家政策の合法的手段としてほとんど除外している国もある。
 それとは対照的に、アジア諸国は、周辺国と潜在的な対立関係にあると見なしている。周辺国との戦争を必ずしも意図しているわけではないが、戦争の可能性を排除はしていないのである。もし自衛力が不十分であれば、追加的な防衛力を提供してくれる同盟体制に加盟しようとする。【P.558~559】

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 キッシンジャー博士は、第1章「中国の特異性」の中でヘーゲルを引いて、中国は「海と何の積極的な関係も持たなかった」、「土地に縛り付けられた中国」と述べているが(P.31)、その他についてのヘーゲルの東洋や中国に対する見解は引用していない。
 
ヘーゲルの「歴史哲学」では、その当時の中国(シナと表現されている)について、上記の他に次のような考え方を展開している。
 東洋では「人倫の実体性」(内面化されていないという意味―拙注)という特有の原理がみられる。人間の恣意は克服されてはいるものの、心情や自由は外形的にしか命ぜられていない限界がある。そして「シナは世界史の圏外」にあるとする。その歴史には変化というものが一切ない。「客観的な存在と、それに対する主観的な運動との対立がまだない」ために、「変化というものが一切なく」、「いつまでも同一のものが繰り返し現れるという停滞性」が・・・「取って代わっている」。「人倫的なものとして現われる実体的なものの支配も主観の心情として行われるのではなくて、元首の独裁として行われる」、「人民は自分自身について極めて卑屈な感情しかもたず」、「甚だしい不道徳は、この自暴自棄と関係している」。
 これは19世紀前半期のヘーゲル的な、かつ西欧的見地からの「シナ」の観察である。(「歴史哲学(上)」、第一部「東洋の世界」第一篇「シナ」 岩波文庫から)。

(2012.12.28 記)

 安全保障問題の専門家である春原剛著の「米中百年戦争」についての書評を読む機会があった。
 クリントン政権からオバマ政権に至るアメリカの中国政策の変遷の過程を明らかにした力作と評価している。それによるとクリントンは初期は人権問題で対中強硬路線であったが、末期には関係改善を優先、次のブッシュ政権はその逆のパターン、オバマ大統領は当初は柔軟姿勢、G2論、しかし2009年末から気候変動枠組条約、南シナ海領土問題などにより中国への権威主義的体制に対抗措置という総括のようだ。
(「波」新潮社2013年1月号、「変容の軌跡と歴史の分岐点」久保文明京大教授「書評」から)

(2013.1.14 記)