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761号 中野重治書簡集について(2)「妹の力」

2013年01月10日(木)

 子供の名前は、そこに親たちの願望が込められているのは確かだ。県庁に社会見学に来た小・中学生の胸の名札を読み上げて見ると、ほとんど読み方に困るような名前が多い。とくに女子の名前にその傾向が強い。万葉仮名やアルファベットの流儀もはるかに超えて、彼女たちはまるで記紀の時代や浪漫の別世界に住んでいるかのようだ。学校でいま何を習っているのか、きょうだいは何人かなどと聞いたりする。これから六、七十年先の日本がどうなっているのかは知らないが、ともかく眼の前の元気な少女たちを眺めながら、名のことはともかくも、大きく羽ばたいて歳を経て欲しいと内心に思うのである。
 次の話しは今述べたことよりも、先に頭に思いうかんだことなのだが、ふるさと福井の年表を逆に半世紀以上も前に折り返した時代の、ある妹と兄の話しになる。

 数年のうちに福井県では「ふるさと文学館」を作る予定であり、そうしたこともあって最近(2012年)出版された「中野重治書簡集」(平凡社)を一覧することになった。
 そこには故郷から東京に出ていった郷土作家が、地元(丸岡)に残って昔からの家をきりもりする妹に宛てて、兄として書いた何通もの手紙が収録されている。当時のことだから手紙がほとんど唯一の日常的な連絡方法であったと思われ、いろんなことがわかる。

 世に賢兄愚弟という漢語があるが、戦中・戦後の大きな社会変動の中、中野重治は兄の立場から国元に残って苦労する妹に対して、先輩作家として、また家長として、地主として、兄の立場からさまざま注意、助言、依頼、指示、叱責を行っている姿が書簡からうかがえるのである。妹と兄との実際の関係がどうであったかは、同時代の人達の回想や伝記作家の報告による必要がある。しかし、兄として厳格すぎるという訳ではないものの、妹の苦労は大変なものが有ったように見える。
 そしてその時に、「妹の力」という言葉がふと浮んだ。
 わが民族の伝統にある兄と妹との関係を発掘したのは、「妹の力」(大正14年)(全集第11巻1998年)を著した柳田國男である。
 その言葉だけをなんとなく憶えていたのだが、柳田國男が何を伝えようとしたかの真意は忘れていた。しかしこの「妹の力」という言い方は、書物の表題としても民族学のキーワードとしても、魅力的な含意のある表現である。そこで「妹の力」を改めて読み返してみた。柳田國男の文章はどれもそうだが、一つのテーマの中にさまざまな伝承や世相の観察、自らの感想などが独特の文体の中に錯綜するので、どうしても途中で迷路に入りこんでしまう。
 読み違えがあるかもしれないのだが、柳田國男が論じるところの筋道に係わる部分をとり出すと、以下のごとしかと思う。
 近頃(大正後半つまり1920年代後半のことである-拙注)、以前はまるで無かったこととして、「兄妹の親しみが深くなって」、「兄が成人するにつれて、妹を頼りにして仲良く附き合う」といった兄妹間の新現象が見られる。これは新しい現象と思えるかもしれないが、実はそうではなくて、古く昔からあった習わしが再び現われ出たのである。こうした習俗は消え去るのではなく潜んでいるのであり、気づかなかったにすぎない。もともと日本の伝統においては「女には目に見えぬ精霊の力」があると思われており、「兄の寂寞を妹が慰める」(もう少し普通の表現にしてほしい-拙注)ような現象も、肉親愛の復活であって、「民族の一続きの大なる力」のあらわれと考えるべきである。つまり、今後とも社会に及ぼす女性の力は、家を出て働こうとする男子に勇気と幸福を与える力になりうるのである。

 大略このように述べているように思えるのであるが。しかし、大正期のこの時代になぜ新傾向が出てきた(復活した)のかは書かれていない。おそらく封建制度が実質的に解かれはじめて、デモクラシーの時代が到来したことが背景にあるのかもしれない。
 さて柳田民俗学の関心である神話物語や民俗伝承を離れても、似たような女性の力を暗示する日本人の精神は、思いつくまま例をあげても、昔から現在まで様々なところに見えかくれする。
 「今昔物語」には、兄よりも更に怪力の妹が出て来る。この娘が盗賊の人質になっても兄はすこしも騒がず、妹が難なくねじふせることを見越している。明治以降の知っている小説を見ても、鴎外の『安井夫人』は「あねいもうと」の比較だが、姉よりも妹の方が自己の結婚と運命をみずから選びとる話しになっている。『山椒大夫』は「あねおとうと」の物語である。室生犀星には『あにいもうと』という題の小説がある。さらに世俗的な講談の世界でも、『天保水滸伝』の剣客、平手造酒を哀れんで作られた「大利根月夜」(藤田まさと作詞)では、「何が不足で大利根ぐらし、故郷(くに)じゃ妹が待つものを」と歌われている。現代の漫画においても、作家の深層心理はさておいても、鉄腕アトム、ドラえもん、カツオ君、コボちゃん等には冷静でしっかりした妹がいる。その他さがしてみれば、日本の物語にはあちこちに沢山の有力な妹たちが隠れているのだろう。

 「妹の力」から元の話しに戻って、中野重治の書簡集を読んだ限り、兄を都会に送り出しながら、いろいろと兄から云われるだけの妹の姿が現れている。作家の書簡集である都合から、兄からの手紙だけが載っており、妹の手紙は見ることがない訳である。妹の力は奥に引っ込んでしまっている。また兄の方が勝手に手紙を書けたのも、むしろ妹の存在があったればこそかと思われる。妹にあてた手紙(760号参照)の中に、戦争のために死を想定したためか、中野は遺言を残しているが、その中で柳田國男のことを「深ク感謝ス」と記している(これが書かれた経緯が何かについては知らない)。
 冒頭、福井の少女たちのことを記した。柳田国男は「妹の力」の終りにおいて、女性の元気は日本古来のものであり伝統である、これを女性が男性の力も得て大いに発揮すべきであるという意味を説いている。

 なお、参考に柳田國男「妹の力」の中から、関係箇所を以下に抜粋しておく(傍線はとくに関連する部分、表現はわかりずらく意味を誤解しがちだが、簡単な現代語に翻訳して読めば意味はほぼ通る)。

(大正14年10月婦人公論「妹の力」。柳田國男全集第11巻 筑摩書房1998年)
 「日本の歌や文章では『古里は昔ながら』とながめるのが、一つの様式の如くなってしまったが、少なくとも自分の三十何年前の故郷には、殆ど以前を忘却せしめる程の変革がある」全集247頁

 「他の地方ではどうか知らぬが、人が全体にやさしくなったような感じがする。殊に目につくのは子供を大切にする風習である」249頁
 「それからまた一つの意外であった話は、兄妹の親しみが深くなって来たということである。其中でも兄が成人するにつれて、妹を頼りにして仲よく附会ふことは、今は殆ど世間一般の風であって、しかも以前には丸で知らなかったことであると云う。始めて思ひ当ったことだから、まだ説明の材料も備はらぬが、見やうに由っては幾通りにも其原因が考へられる。何にしても興味ある問題になると思ふ」250頁

 「仮に婦女子が必要もない謙遜から放免せられ、各自その天性の快活を以て家庭を明るくし、殊には孤独を感じ易い青年の兄たちを楽しましめるのだとしても、それは結構なる変化だと考へ得る。(中略)仮に兄妹の交情の底の動機に、若い者らしい又人間らしい熱情が潜んで居たとしても、世には是れほど無害なる作用が果して他にも有るだろうか。無害と云う以上に此の如き異性の力は、屢々他の悪質の娯楽から、単純なる人々を防衛して居る。あらゆる生物は言はずもあれ、人類の社会に於いても、新たなる家の分房の行はるゝ迄の期間、決して相とつぐこと能はざる男女の群れが、斯うして互に愛護して最大の平和を保って居た。それが即ち家庭であった。その至って単純なる元の形に、戻って来たと云ふまでゞあって、言はゞ我々の肉親愛の復古ではなからうか」251-252頁
 「女には目に見えぬ精霊の力が有って、砥石と跨ぐと砥石が割れ、釣竿天秤棒を跨ぐとそれが折れると云ふやうに、男子の膂力と勇猛とを以て為し遂げたものを、たやすく破壊し得る力あるものゝ如く、固く信じて居た名残に他ならぬ。其様な奇異の俗信がもう無くなって(後略)」253頁
 「女の力を忌み怖れたのも、本来は全く女の力を信じた結果であって、あらゆる神聖なる物を平日の生活から別置するのと同じ意味で、実は本来は敬して遠ざけて居たものゝやうである」254頁

 「我々の生活の不安定、未来に対する疑惑と杞憂とは、仏教と基督教とでは処理し尽すことが出来なかった。・・・而うして其欠陥を充すべき任務は、大古以来同胞の婦女に属して居たのである。・・・故に兄の寂寞を妹が慰めるのも、言はゞ此民族の一続きの大なる力の、一つの新しい波に過ぎないのかも知れぬ」255頁

 「我々が今読んで居る歴史と云ふものゝ舞台には、女性の出て働く数は甚だしく少なかったが、表面に現れた政治や戦争の事業にも、隠れて参加した力は実は大きいのであった。さういふ心持を以て再び前代の家庭生活を眺めて見ると、久しく埋もれて居たゞけに、なつかしい民族心理の痕が際限も無く人の心を引く」259頁
 「最近金田一氏の訳出せられた伝説に依れば、処々の島山に占拠した神は、必ず兄と妹との一組にきまって居た」260頁
 「新らしい時代の家庭に於ては、妹の兄から受ける待遇が丸で一変したやうに見えるけれど、今後とても女性の社会に及ぼす力には、方向の相異までは無い筈である。もし彼女たちが出でて働かうとする男子に、屢々欠けて居る精微なる感受性を以て、最も周到に生存の理法を省察し、更に家門と肉親の愛情に由って、親切な助言を与へようとするならば、惑ひは去り勇気は新たに生じて其幸福はたゞに個々の小さい家庭を恵むに止まらぬであらう。それには先づ女性自身の、数千年来の地位を学び知る必要が有る」261頁

(2012.12.22 記)