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イッセイエッセイ

743号 科学史についての簡略ノート

2012年11月12日(月)

 近代ヨーロッパ文明の「可能性」の実験(実証的に示したもの)―アメリカの形成(14p)
 類似の環境の反復―反作用の一様化すなわち「習慣」―精神が構成(28p)
 ギリシア的天才は「帰納的」よりも「演繹的」であった―数学が栄え、科学への貢献は少ない(35p)
 ガリレイvs宗教裁判所の争点―自由vs伝統、科学vs宗教の図式デハナイ―帰納・・の精神vs演繹・・の精神の対立デアル(36p)
 近代の科学技術の本質的特性―伝統からではなく実験・・から出発すること―「実験の精神」(38p)
 真に科学的技術に値するもの―機械ではなく電気・・に至ってはじめてそうなる(38p)
 「近代技術の最も困難な問題は原料・・のそれであろう」(39p)
 プラトンにおいて、技術・・としての数学、学問・・としての数学が原理的、自覚的に区別(44p)
 ギリシアの哲学者と立法者とポリス市民は一致している。しかしソフィストは都市を巡回する者、懐疑者である(46p)
 アカデメイアの対象とする「数」は、生成変化する「物」ではなく、恒常不変の形相(本質)としての数―数学・・の成立(54p)
<以下は形式的図式的な呈示の記述>
 数学の成立を媒介にして、形而上学と自然学とが分離区別された(66p)
 「学問の如く、単に客観的な物として存せず常に主体的に歴史的に社会的に共同継続的に営為される文化産物においてはこの未完結性は特に本質的・・・なものとなる」(67p)
 「数」は日常的技術的なるもの(現代はこの意味しか認めない傾向)にトドマラズ、超人間的運命的なるものの象徴である(69p)
 ライプニッツとカントを通して「形而上学」、「科学」、「数学」の分化的成立(デカルトでは未だ)(76p)
 古人が哲学者・科学者・数学者であったのは天才・・という個人的事情・・・・・ではない。当時の学問の質的性格による(76p)
 カントにおいても哲学と数学の区分はなお問題あり。ニュートン、ライプニッツ以後であっても、「微分法」は無限小の形而上学的・・・・・な問題であった(77p)
 数学が生成することが哲学が哲学として生成することである―西洋に独自な世界史的な学問的事件・・・・・であった(学問の性格)(77p)
 ギリシア―形相的な把握、有限な世界、直観自然的な数学、孤立的個別的な数学の証明。近代―無限としての世界の把握、形相直観ではなく、観念論としての「純粋思惟」、無限の解析(83p)
 無限は有限者に内在するものとして把握―ライプニッツの単子(有限が無限の宇宙を表出)―カントの「人格」はこの倫理的告白、「理念」は経験を超えた実践的意志である。有限における無限の内在―有限者が無限の表出者・・・―記号的象徴的(代数的)にしか把握できない(84p)
<以下は、数学・科学・哲学の歴史的跡づけの記述>
 ギリシア的数学とそれ以前の数学の決定的違いは「証明」の出現(89p)
 (例)ピタゴラスの定理について、内容の発見はギリシア人を俟つを要せず。しかし証明はギリシア人に負う。
 具体的個別的な問題と解法(例えば支那数学、和算)と論理的、自覚的な推論(ギリシア)(90p)
 算術・幾何学・音楽・天文学がそれぞれの領域における「数」の原理の自覚―ギリシアにおいて数学化される(112p)
 ギリシア芸術の典型―彫塑芸術には実は注意は払われていない―彫刻は工匠にすぎず。現代人に通路・・があるだけ―真に創作的・・・な芸術は音楽であった(作詩と作曲は一体)(113p)
 ギリシアの数学―正方形の一辺と対角線―幾何学は無理数論である(121p)
 幾何学―ギリシアは空間的・・・(三角形、円etc)な形態有限なる空間を問題に(有限主義、点を要素)―近代は空間を定形をもたざる空間、無限なる空間を問題に(無限主義、零を要素)(131、142p)
 近代科学に積極的に貢献したのは、唯物論ではなく、神秘主義、魔術である(139p)
 古典物理学は客観(自然)は主観と対立―量子論は主観と客観の明確な境界線を画さない。よって自然法則は「因果性」から「確率性」へ(167p)
 科学の客観性が主観性を帯びる―科学の客観性がすべて歴史的・・・なものとなった(170p)
 「我々の認識がかかる歴史性の性格をもつのは単に歴史学においてだけではない。むしろ歴史性は現代の我々の認識一般の性格である。換言すれば現代の科学性とは歴史性ということである」(171p)
 真理が論証よりも実験によって保証される―新しい思想(近代思想)―長い激しい斗争の後に初めて獲得され得た独自な思想(近代・・科学の成立)―我々が現にもっている「概念」を安易に解してはならないし、自明性に狎れてはならないという教訓―「概念」は常に問題・・である(あらかじめ存在・・するのではなく、探究・・されるべきもの)(173、175p)
 時間の概念は、近代の認識の結果・・近代の意欲・・、持つことをするところの概念である(175p)
 概念の歴史性―反省・・批判・・変転・・ではなく発展・・生成・・ではなく形成・・結果・・ではなく克服・・―存在する事実・・ではなく行為せられた事件・・―概念に(日常的/科学的/哲学的)がある(176、177P)
 科学の安定さは、制限があることによるその制限内の安定さ―よって形而上学者は、常に冒険者である(179p)
 時間は空間を、空間を時間を互いに予想して成立する(191p)
 現実の時に空間的な契機のみを抽象し形成=自然科学。時間化の方向において形成=精神科学。現実を抽象化ではなく具体的な現実性において把握=哲学
 相対論=物理学上の時間と空間の相関性。量子論=因果性の概念の弁証法的性格を確立(位置と運動量を同時に測定できないこと)―対象と観測手段の統計的確率性となる(192、193p)
 「人間的利害に対して全く無関心的な自然科学を人間的関心に統合せしめ、人間的関心の下に支配し統制しようとするものが『技術』の任務である」―両者は全く性格を異にするが、まさに相統合せねばならない(198p)
 「もし科学がもたらした害悪があるとすれば、それは科学を抑制することによってではなく、むしろ科学を振興することによって克服すべきであろう」(216p)
 自然は我々・・の自然であり、我々の所有・・する自然、政治的・・・自然である(225p)
 人工の自然の最大のもの(作品)が「都市」、殊に「近代都市」である(227p)
 人間が最も自然的・・・である、すなわち最も粗野である(229p)

下村寅太郎著昭和16年「科学史の哲学」(みすず書房≪始まりの本≫シリーズ2012年)から上記をメモ。

(2012.11.3文化の日 記)