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イッセイエッセイ

736号 果報は

2012年10月09日(火)

 何かをいまかいまかと終るのを或いは始まるのを待っているときは、それがわずかな時間であっても、ずいぶん長い時間がかかったと感じてしまう。例えば腹の中を探査中の胃カメラ、寒いホームで待つ列車、古い洗濯機の排水。
 じっと待っているのはつまらないことであるから、他のことに関心を向けたり、別の仕事をしはじめるなら、待っているものは直ぐ来る。例えば画像に集中し何たる単純な体内の空洞と感心したり、売店に入ってあんぱんを買ったり、その間にお湯を沸したり等。
 そうしているうちに、時間の方はむしろ見逃してしまいそうに早くやって来る。一つの仕事だって結果を待つほどのことではなく、そんなものは忘れて、別の仕事をしなければならない。
 よい知らせは日頃の準備や苦労がなければ、めったに早くやって来るものではない。きびしい社会の鑢にかけられて大抵は粉のように消えてしまうのである。それでも他のことに励んでおれば、たまには良い便りだってあろうものである。
 日本語では、自分の「がんばるぞ」も、皆んなで「がんばろう」も、相手への「がんばれ」も、すべて頑張るで通用する。英語では、自分のことは I will do my best、相手に対しては Good luck、つまり個人の努力を当然前提にして、結果については冷静な客観的見方でむしろ運に期待する構造の言葉になっている。精神の違いが言葉の違いなのであると言うと考えすぎだろうか。

(2012.9.23 記)