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イッセイエッセイ

735号 流れ

2012年10月09日(火)

 花壇へ水をやると水があふれて地面を流れてゆく。家の前の地面はいつもは平らだとばかり思っていたが、意外と傾斜があり乾いたアスファルトに黒い細長い水の道ができて、あっという間に道の反対側の側溝まで流れ落ちるのに驚く。わずかな傾斜であってもそれは、水の流れに決定的に影響を与え、一定の場所に止まることをしない。

 ここでは老子の水の説を述べようとするものではない。我々の目にすぐには見えない流れの一種に、時流というものがある。それぞれ我々も時流の流れに一役かっているのであるが、同時に自分たちも知らぬ間に少しずつ一緒に確実に流されていく。
 時流に抗してなどというのは言葉としては意味があっても、凡人にとっては実行はほとんど無意味な企てであり、努力を傾けてみても無駄骨にしかならないだろう。なぜなら時流は傾斜に沿って流れるばかりであり、我々はその流れに乗って動いているにすぎないからである。

(2012.9.6 記)