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729号 問題と解答の意味

2012年09月02日(日)

 教科書にある例題、練習問題、問題集の問題、中間・定期試験の問題、大学入試の問題、これら勉強に係わる学校の「問題」は、いづれも正しいか間違っているかの判断、記憶した知識の再生(引き出し)をするためのものである。
 したがって、世の中の「問題」つまり社会問題などとは同じ問題という言葉であっても、意味のちがうものである。
 学校や試験において解答すべき問題は、答えが必ずあるのであって、答えをひねり出すという意味合いのものではない。本番の試験の経験からも理解できることであるが、考え出すといった時間や余裕は実際にはほとんどない。このことをまず分っておく必要がある。
 精選された良問を見つけて重点的に教えたり解いたりすることは、決してわるいことではない。だが、授業や学習の場において、思考力という言葉の魔力にまどわされて、問題と解答の関係について誤解をいだいている場合には、十分な効果を発揮しないことが起るであろう。
 問題に対する解答を生徒にとっての一種の発見行為、探究過程、といったむずかしい認識はしない方がよいと考える。そういう学問的な面白さや魅力づけは、もっと別の方法と機会を見つけて教えるべきである。
 問題というものがまるで天から降ってくるような感じ方をしたり、解答に対する知らずしらずの物神化が生じるのは、解けたか解けないかが学校での評価、場合によって人生の進路にもかかわることに由来するためかもしれぬ。それは又、先人たちの真理の発見や学問の業績と、生徒の学習行為とをあやまって同一視することにもつながってゆく。こうした偉人たちの科学的な発見の歴史を教えることは、数学や理科の学科分野では必須の事項であると考えるが、これと問題の解答とを類似化してはならない。
 大学入試問題(過去問)は、じっと解答を考え込むよりは、むしろ問題をどんどん教科書のようなつもりで読んでいったらよい訳であって、極論すれば、答えを無理に出さなくても一向に差し支えないのである。
 例えば数学の解答の詳しいものをあらかじめ生徒に配っておくことは、生徒の自習効果を高めることはあっても、授業の効果をさまたげるものでは全くない。
 県内の一部の学校において、数学の問題集の解答とプロセス(つまり解答集)を、生徒にこれまで配っていなかったところがあるのだが、今年の夏からは配布するようにしたのは良いことだと思う。従前の考え方によると、答えを先に生徒に渡してしまうと、例えば生徒が安心してしまい自分の力で解答をしなくなる、試験前に答えを憶えようとする、毎日の学校での授業を聞かなくなってしまう、ねばり強い思考努力をさまたげる、などと言った弊害をとなえて消極的な意見をもつ先生も少なくなかった。
 これらは教える側の全くの誤った先入観であり、自分たちが生徒であった時のことを忘れているのである。むしろ生徒がつまづきやすい部分を、更に先生が補足的な詳しいヒントを積極的に付記すべきである。
 そして、何といっても板書による解答の添削主義的な授業風景そのものから、教える側も教わる側も解放されるべきである。解答というものに対して一種の神秘感を持ってはならない。答えを手元に持たない時間浪費の自宅学習はナンセンスであり、生徒に目かくしをさせて学習をさせるようなものである。

(2012.8.25 記)


  以下、この点について、かつての高校生が参考に書いてくれた感想を付記します。
 私の高校時代も、数学のくわしい解答集は配られていませんでした(全くの答えだけが書いてあるものを、たまにもらったことはある)。なので、数学の授業の予習をするにしても、非常に時間がかかり(1問ごとに悩む時間が多いので)、効率的に予習ができなかった記憶があります。予習ができていないと、どうしても授業が受け身(聞くだけ)になってしまい、自分が「どの点が分からないから解けなかったか」を認識できないまま授業が進んで行ってしまいました。このことは限られた高校の学習時間では大きなロスだったと今になって思います。
 特に数学の場合、復習よりも予習に重点を置くべきだと思います。大学浪人をしている際の予備校の数学の授業は、高校の授業より理解できたと思います。それは、教え方が上手いのではなくて、一度高校で習った内容なので予習を完璧にした状態で授業に臨むことができたからではないかと思います。

 また、試験問題の意味ですが、いい悪いは別にして、現在の試験制度の中では、問題に対する解答を生徒にとっての一種の発見行為等といった認識をしない方がよいという点は同感です。予備校の授業ではそのあたりは割り切っており、「何も考えず、これだけ覚えなさい」という教え方も多かったと思います。
 ただ、私は「高校の授業は大学に合格するためのもの」といった雰囲気の高校におり、自分自身も「大学に合格するために勉強する」といった生活をしていたので、大学受験を目標としていない高校での授業が同じ考え方でいいのかについては、はっきりとはわかりません。しかし、目標が違うのであれば、試験問題へのアプローチも違っていいのではないかと思います。 

(2012.8.31 記)