西川一誠後援会サイト

イッセイエッセイ詳細

イッセイエッセイ

727号 小説における日本人の発想形式

2012年08月14日(火)

 ある情報を簡単に知ろうとする時、いちばん困るのはその解説を読んでみても、言っていることが良く分からないときである。
 例えば代表例として、CDのアーティストの解説、雑誌のワインの紹介文、新聞の一部の文芸評論、さまざまその他がある。そうした解説が一種のスタイルなのであろうが、結局ぐるぐると最後まで訳のわからぬ修辞に引っぱり回されてしまう。
 これらの現象は基本的にはすべてカタログの対象である商品の本質を、調子や雰囲気を出してそうでない形に変えて宣伝しようとする市場社会に原因をもつ。
 いま例にあげた文芸の分野では、この種のあいまいな評論方法のほかに、一方でまた極端な出版側の売込型の宣伝も多いので、どちらの手段に誘われても、いざおすすめの本を読んでみるとがっかりする。そして昔のよく知られた定番本に帰らざるをえなくなる。
 しかしこの昔の小説と小説家の関係においても、その時代にはその時代としての同じような種類の問題があったようだ。
 伊藤整(1905-1969年)著の「近代日本人の発想の諸形式」は名の知れた本であり昔の本として今回はじめて読んでみたのだが、今も昔もよく似たジャーナリズムの弊害が存在していることを教えてくれる。
 昭和28年(1953年)に書かれた表題の論文は、あいまいを排し、思いきりのよいはっきりした文体の評論である。そして小説家とその小説を通して、われわれ日本人の生き方の特徴が、一体どういうタイプのものなのかを発見しようとしたものである。
 「調和的発想」、「逃避型と破滅型」、「死または無による認識」、「上昇型と下降型」、「芸術至上主義と立身出世思想」、「相対的人間像と並列手法」というカテゴリーないし原型(プロトタイプ)を用いて、日本人の発想を論じている。既視感が若干でてくるのは、おそらく後の評論家たちが伊藤整の方法にならって文芸を評することが行われたので、そういう感覚をもつことになるのだと思う。
 以下にその要点(最初にある肩書きは便宜上付したもの、また若干の感想も後に記した)。

ジャーナリズム「文学者の場合、実践生活が尊重されるという日本の文壇では、この絶望的な行為すらジャーナリズムを意識してされる危険がある。革命的行動は、ジャーナリズムの中では発表価値のある演技である。明治の革命家は投獄回数の多さを自慢し、大正期の社会主義者たちは、自分たちの行動が新聞に出る出ないということを常に意識した。そしてジャーナリズムはそれをできるだけ追求し、それを大きく演出することによって商品価値を高める」(36頁)

「そのジャーナリズム自体が他のジャーナリズムと競争する場合は、資本主義的に行うという本質から離れられないのだから、革命思想、革命小説を宣伝することは自己否定になる。その弱点は、ジャーナリズムが文化建設者の立場でいかに善意的に振舞っても、そのジャーナリズムの内部の争議や外側の出資関係や広告主などの強要のある時には矛盾に陥ってしまう。こういう矛盾は経営組織が大規模になるに従って顕著に現はれて来るのである。ジャーナリズムの中における善意は真の善意になりにくく、まして革命的言辞は飾りものであることが多い」(37頁)

産業化「営利または企業が正義の行為であるという思想は日本では福沢諭吉によって、繰り返し、明治初年から称えられていた。明治時代に日本の文明と知識人とが旧時代の空白を埋めて発展した時期には、福沢的な考え方は、しばらくの間は大きな抵抗なく受け入れられたようである。しかし立身出世の余地が少なくなり、産業の経営者が閥や家系や政治家とのつながりを頼りにしはじめた大正期になると、成功に対する疑惑が起った」(61頁)

藤村「告白小説を形において利用して、実質的にはそれを顔や圧力と似たようなものとして使つたのである。それは芥川が見破ったところである」(17頁)

鴎外「彼の文芸愛好家としての少年時代からの趣味が時として雅文体や漢文体の外飾をその文章にまつわらせ、それによって彼は写実と論理の明確さのもたらす自己破壊力を一部分そらすことができた。しかし彼は職業軍人であって、軍や官の上級者や明治の秩序を保っていた政治家との交渉があった。それ故、鴎外の論理的思考性は明治の秩序そのものの批判として現代的に働くことができなかった。彼が後半生で史伝に力をそそいだのは、彼の生活の現実の秩序が明治以前的であり、彼の観察描写の現実感が史伝の中で安定することができたからである」(21頁)

漱石「漱石は最後に不合理な現存秩序を『天に与えられたもの』と見て、『私を去る』という自己放棄によって調和しようと考えた。しかし鴎外や漱石が自己放棄的な立場をとるということは、その地位と名声とが安全であり、特権的な立場を得ていたからこそ出来たことである」(21頁)

志賀直哉「志賀直哉と長与善郎の場合は人格を中心とした調和感であったから範囲は交友の間に限定される。特に志賀のは、自己放棄的ではなく意志的進行的であるが、家族と友人という範囲を一歩踏み出せば、実践性を失ってしまうという、やはり特殊な場合である」(25頁)

宮本百合子・中野重治「彼女の人道主義的考え方からマルクシズム的考え方への変化は、彼女より遅れて初めからマルクシズム的考え方で出発した中野重治のそれと、面白い対照をなしている。宮本の思想の変化は、範囲の拡大という自然な進み方であるが、中野のそれは、次に書く破滅系統の戦闘的考え方を意志によって仮に調和型に作りかえたもののようである」(27頁)

調和型「大体において現在(戦後しばらくの頃‐拙注)の日本の指導者層を支えている発想法は、藤村、鴎外、漱石または彼らと同時代の作家が具体化したものである。それは図式的思想としては、彼らに影響を与えた西田幾多郎や内村鑑三やその前の福沢諭吉らの線にあると見ていいだろうと思う」(30頁)

逃避型・破滅型「昭和の初年に一つの典型となったこのような絶望的反抗感は、徳川時代の百姓一揆の衝動の再現である。日本の民衆は、自己放棄の仏教的衝動によって、可能な限り屈服し後退する。しかし、どうしても生きられないと感じたとき、彼らは爆発的に絶望的に抵抗する。このようなことは、論理と実証とを人間相互の間で確かめ合って、集団の調和をはかる傾向を持っている近代ヨーロッパ系の思考と較べると、両極端に強く走るものである。即ち、ある場合は逃避し、自己放棄をする。しかしそれが駄目な時は絶望的に戦って自己を貫こうとするのである」(35頁)

相対的関係によらない並列主義「並列方法を人間実在の把握方法だと意識して考えたのが露伴であって・・・(中略)そして方法的には『源氏』も緑雨の『かくれんぼ』も紅葉の『三人妻』も、露伴の『運命』も西鶴の諸作品もこれによっている。鴎外の史伝の与える感動も主として時の経過の中で並列的にとらえられた実在感による。無常感による認識方法である。・・・(中略)音楽で言うと、日本には諸音の調和構造なるハーモニィ形式はほとんどなく、メロディーの継起のみが主である、という点でもそれが確かめられるようである」(70~71頁)

 史伝「渋江抽斎」などはその典型であって、ある人物と家族についての日誌と年譜の早繰りのような読感があり、読みながらただ歳月の流転を知るのみである。もし読者の脳中に楽曲が流れるとしたら、たとえば鴎外とほぼ同時代のラヴェルの音楽ではなかろうか。独逸日記、小倉日記も類似の印象を受け、それは中味もさることながら漢語による崩れることのない様子美である。
(なお史伝に対する和辻哲郎の誤解と加藤周一の考証する過程を描いていることが史伝の特徴であるとする所見について)

文体と社会「文体は、その時代に一般化した社会通念のリズムの文学における現われであるから、新しい見方、考え方は、当然新しい文体を必要とするものである」(「近代日本の作家と生活」88頁)
 明治初年から三十年代まで文体に三種の変化があり、それぞれの社会背景と結びついていた。戯作文体・漢文体(魯文、柳北、竜渓、散士など)、口語文体(二葉亭、美妙)、西鶴文体(紅葉、露伴)であるとする。

口語体「明治末年において、作家が封建性から解放されたという意識が文体に反映したときに、口語文体の全面的な実現となったのである。口語文体が読者に共感をもって読まれ、作家に積極的に書かれるということは、文語体の形式主義、装飾主義、韻律的秩序から、自由人が完全に脱却したいと、はげしく願ったこの時期に、はじめて実現した。口語体は、物を正確に見て正確に描くために起ったと言われて来たし、その傾向があったことも事実であるが、私はそれを、文壇の中で徒弟制度という形で残存していた封建意識からの脱出であると考える」(同100頁)

「方法」という言葉「私の経験から言うと『小説の方法』という題の書物を書こうとした時、文壇人なる私は、かなり大胆なことをする、という気持を強く持たざるを得なかった。そして私がそういう気持を抱いたということは、私の心内において、また戦後の日本の文壇の雰囲気において、なお、相当に強く文学を、宗教的な意味での鍛錬道、または修業道として考える傾向があったことを示している。私は、その空気に抵抗を感じてその書物を書き、その題を冠したという記憶をもっている」(「近代日本の作家の創作文法」105頁)

 公にする文章において、新しい言葉や新しい言葉の使い方を始めようとするとき、かなりの勇気がいるのは事実である。その後について来る人たちはその言葉を気楽に使う。

日本人の他者「私は漠然と、西洋の考え方では、他者との組み合わせの関係が安定した時に心の平安を見出す傾向が強いこと、東洋の考え方では、他者との全き平等の結びつきについて何かの(ためら)いが残されていることを、その差異として感じている。我々日本人は特に、他者に害を及ぼさない状態をもって、心の平安を得る形と考えているようである」(「近代日本における『愛』の虚像」140頁)

「・・・以上のような心的習慣をもつ東洋人中の東洋人たる日本人が、明治初年以来、『愛』という翻訳言葉を輸入し、それによって男女の間の恋を描き、説明し、証明しようとしたことが、どのような無理、空転、虚偽をもたらしたかは、私が最大限に譲歩しても疑うことができない」(同上145頁)

 (伊藤整「近代日本人の発想の諸形式他四篇」岩波文庫1981年(初版) 2012年(35刷))

(2012.7.14 記)