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イッセイエッセイ

726号 「姓名は? 忘れやした」(吉村昭「三陸海岸大津波」)

2012年07月22日(日)

 吉村昭著「三陸海岸大津波」(1970年)は、明治29年(1896年)、昭和8年(1933年)そして昭和35年(1960年)、三陸海岸を襲った三つの大津波について、その前兆、被害の惨状、救援の当時の様子などを、何年にもわたる現地調査と資料や体験談をもとに記録文学として残したものである。全てのことを描いてはいないにも拘わらず、そこには津波災害の全体性が臨場感をもってよく読みとれる。読者は、自分たちが時間を追って津波に遭遇するような気持になり、出来事が起きるときの無気味さに背筋が寒くなる。そして人々の無邪気と悲嘆、なかでも子供たちへの同情の念を禁じえないであろう。津波の歴史、予知の問題、地域ごとの津波の高さや実際のこと、防災への見解も詳しく記述しており、読んで参考になる、というような言葉ではかたづけられない書物である。
 筆者は、文庫化にあたっての「あとがき」において、次のように記している。
 「その間、村人たちから津波の話をしばしばきいた。美しい海面をながめながら、水が急激に盛りあがって白い波しぶきを吹きちらしながら轟音とともに岸に押し寄せ、人や家屋を沖へはこび去る情景を想像した」
 われわれが昨年3月11日に映像として目にした白昼の光景はまさにこのことであり、今はなき著者に代って体験するのである。
 「東日本大震災」についての真実そのものは、多くの映像や報道や評論がありながら、よくわからないところがある。手っとり早く話しをまとめたり、語りたい人たちから聞きとったり、ある関心のもとに描いたりして、映像の豊富さに満足してしまうことによって、津波災害の現実にじゅうぶん迫り切れないのは、現代の傾向かとあきらめればそれまでかもしれない。あるいはさらに、文字としての記録ができあがるための時間の経過が必要なのかとも思う。

 この著書から、防災上において参考にすべき事いくつか。
 前兆現象について、(1)井戸水の減少・渇水・混濁(二週間ほど前から起っている)、(2)異常な豊漁(マグロ、鰯、カツオなど)(3)海草、鰻、鮑などの大量漂着、(4)沖合の怪光など。
 (注 他の時にも起っていると必ずしも前兆とは断じられない)
 誤解と迷信について、(1)津波の直前に起る「ドーン」という音響を日本軍の砲撃演習あるいは外国船の来攻と勘ちがいした(明治29年の津波)、(2)冬期と晴天日には津波の来襲はないという三陸古老の言い伝えを信じた(昭和8年の津波)
 なお表題は、津波によって精神的な打撃を受け記憶を失った一少女の応答、こうした者は各町村にあふれていたという。

(2012.7.16 「海の日」に)