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イッセイエッセイ

724号 「若狭小浜藩医杉田玄白」(県立若狭高校編集 2012年3月)

2012年07月18日(水)

 本書は平成23年度に若狭高校(中嶋嘉文校長)が指定をうけたスーパー・サイエンス・ハイスクール(SSH)事業の一環として編集した教材である。
 読みはじめて途中でそのままになっていたのを、今日に読み終った。杉田玄白の書物のうち、あまり知られていないものについても口語訳されており、生徒たちには勿論有益な一冊になるであろう。
 世に有名な「解体新書」(42歳 1774年)や「蘭学事始」(83歳 1815年)のほか、「(のち)()(ぐさ)」(55歳 1787年)、「()(そう)(どく)()」(75歳 1807年)、「形影(けいえい)夜話(やわ)」(78歳 1810年)、「和蘭医事問答」、「狂医の言」など11篇について、さわりの部分の口語訳と生徒学習用の設問が付してある。
 「後見草」(天明7年)は、幕府政治の批評と頻発する災害など四半世紀にわたる社会情勢について、克明に観察、記録した書物である。「野叟独語」(文化4年)の方も、ロシアなど列強の貿易開放要求に対して強い危機感を示しており、武士道の衰退に憂国の見解を述べている。これらのことからも杉田玄白が一通りの医者や学者ではなかったことを示している。
 「形影夜話」(文化7年刊)は医者の心構えを著したもの。医の道の基本は、科学的な学問に加え「万事に気のつく人」になるべし、「なおるはずの病気をなおりにくくしないよう心がける」、「病があってはじめて名がもうけられる」、「患者があれば、自分の妻か子がわずらっているような気持」で行う。なお、玄白は毎年1000人余り治療したそうであるが、そのうち7,8割は瘡毒の患者であったというから、この種の病気が難治のものとなげいているのも無理からぬことである。

(2012.7.15 記)