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イッセイエッセイ

717号 文明の中心と周辺

2012年05月30日(水)

 日本もヨーロッパも、中国とビザンティウムという高度に発達した既存の隣接文明と隣接した関係にあったが、日本とヨーロッパは、1500年頃までに両文明にひけをとらない文化水準や文明のスタイルに到着した。これがマクニール「世界史」に述べてある見解である。
 なぜこうしたことが可能であったか。日本もヨーロッパでも、きわだって軍事中心の傾向が行きわたり、近隣に対しても毅然たる態度が生まれ、文明の高度化した隣人から良いものは何んでも取り入れ個性化したからだと理由づけている(「世界史」Ⅱ部15章、16章)

 一方でギリシア正教のビザンチンが衰退してゆくのは、東西キリスト教世界の分裂によって、ギリシア正教会はヨーロッパの文明になんらあずかることなく、むしろヨーロッパの膨張するエネルギーの犠牲になってしまったことによる。
 中国は儒教の原理によって、火薬や印刷術などの発明があったにもかかわらず、それらが秩序維持にだけ用いられ、また大規模な商業や産業がどうにも生まれず、古い社会の型を変えることなく高い内的な完成とバランスの中に沈静してしまった(20世紀に至るまで)。
 ところで、日本社会の文化のすぐれた強靭さ、洗練性、複雑さが世界に向けて普遍化できなかったのはなぜか。
 それは日本が比較的大きな民族的等質性をもち、島国としての独立した地理的限定の中にあったので、十分な発達が阻害されることになったのである。それにもまして、日本の文明が日本列島の限界を越えて拡大できなかったのは、他の民族(例えばフィリピン人やアメリカ大陸の住民)をその影響下におくことができるようになる以前に、競争者であったイスラムやヨーロッパがそれらの場所を先取りをし、囲い込んでしまったからだという。しかしそのことは、近代期において、日本が他の後進的諸民族と異なり完全な文化的、政治的自律性を守ることができたゆえんでもあると述べる(「世界史」16325-326頁)

 このウィリアム・マクニールの考えは、日本が明治維新期に西欧文明からの圧迫をうけて、ようやく文明開化したという常識的な説明とはちがう。すでに十分な発達をみていたが、世界史の過程からみて日本は外への拡大が阻害されてしまったことが強調している。

(2012.5.27 記)