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イッセイエッセイ

710号 世界史的考察(1905)から多くの要約と若干の感想 ヤーコプ・ブルクハルト著(訳・新井靖一 ちくま学芸文庫 2009年)

2012年04月20日(金)

第一章 序論から
・歴史哲学は半人半馬の怪物であり、形容の矛盾である。というのも、歴史とはすなわち、事柄を同格に論じることであって、これは非哲学であるから。(013)
(歴史哲学は過去の事柄を、原因・発展・未来への道すじで考えるが、歴史学はこれを反復して起こるもの、恒常的なもの、類型的なものとして理解する)
・歴史がわれわれの世紀やわれわれの敬愛する人物に近づくと、ただちにわれわれは、すべてがずっと「興味深くなった」と思うが、じつはただわれわれが「より強く関心を抱くようになっている」にすぎない。(025)
・故国についての歴史の最も真正なる研究は、故国を世界史的なものと、そしてその法則に対比し関連させて考察するものを言うのであろう。すなわち、そうした研究の目指すところは、故国を大きな世界全体の一部として考察することである。(029)
・おそらく他の点では無価値な著者の著作のなかのだだの一行が、われわれの研究全体の進展全体にとって、決定的なひらめきをわれわれの脳裡に浮かばせるような定めをもっているかもしれないのである。(042)
(歴史家の発見しようとする意欲、読む能力に関したことを言っている)
第二章 三つの潜在力(ポテンツ)についてから
・相互関係にある国家、宗教、そして文化   歴史の動因としての秘められた力を三つの、この潜在力(ポテンツ)に分けたことが恣意的であることを十分自覚している   実際このような分離の仕方をしたのは、われわれが物の本質を直覚できるようにするためにすぎない。(053)
・ある国家(国民の政治的統合)の起源がどのようなものであっても、国家がその生存能力を立証するのは、その国家が暴力から力(権力)に変わる時でしかないであろう。(064)
・あらゆる犯罪行為を犯して手に入れた、待ち望んでいた権力を人は恥じるのであり、それは、正義がなお依然として魔力的響きを持っているからである。人々はこの響きが人間に欠けていることを望まないのである。(067)
・同時に宗教は、もろもろの民族全体および文化諸時期全体がある大いなる他者の中へ反映したものである、言いかえれば、宗教は、これらの民族と文化諸時期が自分を無限者のうちに引き入れ、形あるものとした自己の刻印にして輪郭である(072)
・宗教がある段階に固定される瞬間は、国家機構の場合と同様に、宗教の場合も決定的に重要なのであり、諸民族の意志もしくは進む方向とは無関係だからである(074)
(例えばギリシア人の道義心は、国家の観念的見解と密接に関係しており、宗教には依存していなかった)
・確固として形の定まったものはすべて、空漠として不確かなもの、そして無秩序なものにたいして王者のごとき権限を有する(077)
・宗教が徐々に発生していった・・・・・・・・・・ということはおそらくありえない・・・・・と思われる。もし徐々に発生したのであるとすれば、宗教は、一度だけの、大いなる瞬間の反映であるその全盛期の赫々たる輝きをもっていないであろう(077)
・並みのものを超えるような宗教が最初に深く根を下ろすのにいっそう適しているのは、世俗的な生活や労働のうちに日々を過ごす民族よりも、瞑想のうちに日々を送る民族である。
・・・・さらに節制を事とし、神経質な激しやすい性質を具えた民族も適している(078)
(日本人の宗教感、あるいは一向宗と北陸の関係)
・ある宗教の後代の「組織」は、その宗教が誕生した際の全状態に由来する個々の名残り、もしくは余韻なのである(080)
(修道院は原始教区の初期の共同生活の名残り)
・世界宗教こそ、最大の歴史的危機をもたらすものである。世界宗教は最初から、自分が世界宗教であることを知っているのであり、また、そういうものであろうとしている(088)
(仏教、キリスト教、イスラム教の世界宗教は、国民宗教より遅く現われている)
・文化は、あの両つの組織(国家と宗教)について批判をする、すなわち、この両組織の形態も内実がもはや合わない時期がある場合には、それを示す時計である(101)
・あらゆる文化の先端に立っているのは1つの精神的奇跡、言語である。その起源は、個々の民族やその個々の民族の個々の言語とはかかわりなく、魂のうちにある。・・・・諸民族がその精神生活の内実を保管しておく最も耐久性のある素材である(102)
・詩歌はそれ自体最古の歴史であり、また、諸民族の神話全体も、われわれはこれを大てい詩歌の形で、また詩歌として・・・知っているのである(126)
3章 (国家、宗教、文化の相互の制約状態について)
・総じて歴史はなんといってもあらゆる学問のうちで最も非科学的な学問である。ただ、歴史が多くの知る価値のある・・・・・ものを伝えるという点では別である。・・・・歴史の分野では一切が活動し、絶えず推移し、混合した状態にある・・・・哲学的概念は可能な限りゆるぎなく、まとまった形で言い表わされなければならないが、歴史的概念は可能なかぎり流動的かつ未決定の形で言い表わされなければならない(146)
・哲学は連続する時代と諸国民のあいだの対立関係にどちらかといえば重きをおくが、われわれはむしろ同一性と類似性に重きを置く。歴史哲学では変化することの方が問題なのであり、われわれは類似していることの方が問題なのである(146)
<国家によって制約されている状態にある文化>
・文化は元来、自己を他に伝達し、双方の文化が均等化されることを望む傾向を持っているといえよう。しかし、文化をもっている国家は、一切がどうやら秩序を持つまでに非常な犠牲を払っているので、外部から入ってくるものは不都合なものばかりで、有用なものは何一つないと考えるのである。・・・・こうした考え方の最も明瞭なしるしは、エジプトやメキシコ人のような沿岸諸民族でありながら航海をしないという点にみられる。
・・・・ペルシア人ともなると、ライグリス河下流全域を人工の滝だらけにして、外国の船が自国に侵入できないようにしていた(151)
・国家はアッシリア、バビロニア、ペルシア等の人たちの場合にも、当時は悪とほとんど同じものと考えられていた個性的なものの出現を阻止するため、どれほどあらんかぎりの手を尽くしたことであろうか(153)
・一般に、国家は疲労した未葉の時代においてはなってといっても、文化の一部をなし、国家がなければ死滅するような、なんらかのものを守る緊急相続人であり、緊急保護者たりうるのである。じじつ、国家がこのようなことを己が任務としていないアメリカでは、多くのものが欠けているのである。(167)
・しかし、完全な保護監督にしだいに慣れてくると、ついにはこのことがあらゆる進取の気性の根をとめてしまう。人にはなんでも国家を当てにする・・・・・ようになる、そして、その後権力が移動すると、待ってましたとばかりにこうしたことから起こるのは、人々が国からあらゆることを求め・・、国家にあらゆることを背負いこませるというものである(168)
・人々は、ひたすら有力なものにのみ所属しようとし、このことによって権力が第一次の目標であり、文化はせいぜいのところ完全に二次的目標にすぎないことがはっきり露呈するのである。・・・・ここから生ずるのはまず、中央集権を排し、地方分権化を行うことが全然見込みがないということであり、地方の生活や文化生活に有利になるように権力を自発的に制限させることにまったく望みがないということである。人々は、中央集権的意志はいくら強くてもこれで十分とは考えることができないのである(170)
(地方分権が難しい背景)
・権力とは、己れの意思をあくまで押しとおすことではない、むしろそれは飽くなき欲望であり、それだからこそ満たされることがない、この理由から、権力自体のうちに不幸がひそんでいるのであり、それゆえに権力は他を不幸にせずにおかないのである(171)
<宗教によって制約されている状態にある文化>
・宗教は諸文化の母であることを強く要求する権利をもっている。そればかりか、宗教は、その名に値するあらゆる文化の前提条件であり、さらには二つとない卓越した文化と一致することさえある(171)
・宗教というのは、精神的発展における決定的瞬間に、ある民族の精神のうちに、もう二度と元のようにのばされることのないような折り目をつけるものである(178)
・人間と民族も、ある種のものは若い時期に所有するか獲得すべきであり、そうしないと、二度とそれを所有することも獲得することもないのである(178)
<宗教によって制約されている状態にある国家>
・教会は確かに国家を愛することはない、しかし教会に代って迫害を実行するのに最も協力的で、かつ最も有能である国家には心を寄せるのである(203)
<文化によって制約されている状態にある国家>
・ライムールのような人がすべての芸術家、職人そして学者といった人たちを、彼が荒廃させた国々や絶滅した諸民族のもとからサマルカンドに無理やり連れ去ってゆくとしたら、この人たちはその場所で死ぬこと外にどうしようもないのである(213)
・近代の大都市集中は、芸術と学術における大きな、公の使命の支えを得ながら、個々の部門しか促進することがなく、全体を包括する精神をもはや促進しないのであり、このような精神は自由によってしか助長されないものなのである。・・・・ところが、われわれは、そうする代りに、首都の中に自分をつなぎとめておいて、地方で生きることを恥じるのである。地方が疲弊するのは、一つには、それができる人は地方をすてて立ち去るからであり、一つには、地方に留まらざるを得ない人が不満を抱くからである。煩わしい社会利害関係および地位についての関心が、絶えず最善のものを荒廃させてゆくのである(215)
(やや表現はわかりにくいが、地方がすたれ大都市がさかえる、いつの時代にも見られる人間活動の力学をのべているようだ)
・アテナイにおいては精神もまた自由かつ公然と歩み出、あるいは少なくともいたる所で、薄い覆いをとおして見えるように、ほかに光を放っているのが見えるが、これは、経済社会の単純さによるものであり、ささやかな農業、商業および工業で満足していたためであり、生活の大きな節度のゆえである(217)
・中世の時代がその後裔に国の負債(専制政治国家のことか―拙注)を残さずにいてくれたというこの理由だけでも、中世に口をつぐんでいるべきであろう(227)
<国家によって制約されている状態にある宗教>
・その宗教感情がどんなものであってにしても、ギリシア人とローマ人は完全に世俗の人たちであった。彼らはもともと、神官とは何であるか知らなかった(236)
・現代の教義史は異端にたいして公正な態度をとっており、こうした異端について人々は、それらの異端には時としてその当の時代の精神と魂の最良のものが含まれていることを知るのである(241)
<文化によって制約されている状態にある宗教>
・自然の神格化は早期のものであり、文化の神格化・・・・・・はあとになって初めてそれに接ぎ木されるのである(250)
・道徳は可能なかぎり宗教から離れたところで自身の足で立っている。諸宗教はもっと後代になると、道徳を自分の娘と称して、進んでこれによりかかるが、しかしこれに抗して立ち現れるのが、理論的には、キリスト教とは無関係な、純粋に内面の声に基づいた倫理性の学説であり(263)
第四章 歴史における危機
・ある国民が実際に自分の国の目一杯の国力を知るにいたるのは、戦争をおいてしかない、すなわち、他の諸国民との国力比べの戦争においてしかない。それは、そうした戦争においてのみ自国の国力が発揮されるのが見られてるからである(280)
(ブルクハルトは、戦争すなわち歴史上の危機を歴史を見る場合の重要なカテゴリーといていることから来る主張か。)
・戦争のもつ効用については、哲学の形ではヘラクレイトスの「戦いはすべてのものの父である」という言葉が引用される(280)
・戦争のみが普遍的なものにあらゆるものが全般にわたって
従属するような雄大な光景を人間に見せてくれるのである(282)
・危機の最初にあらわれる外面的特徴について言えば、先ず最初に、否定的・弾劾的面が現れる。すなわち、過去にたいする鬱積された抗議が、さらに大きな、未知の圧迫への恐怖のイメージと混ざり合って現われる(295)
(F・ベーコンの) 随想集第15篇「反乱と騒動について」を参照のこと。
(すなわち、国家に対する誹謗や放埒な論議が、ひんぱんに公然となさる状態を指す。最近の日本の状態をどう考えるか。)

・危機の最初の段階においては、差しあたり圧迫を加える旧態が廃され、それを代表していた人たちが迫害されると、さっそくもう、なんとばかげていてびっくりさせられる現象が始まるのである。すなわち、こうした行為を遂行した最初の指導者たちが排除され、他の者にとって代わられるというのがそれである(303)
(平家物語、戦国時代、明治維新、外国ではフランス革命などか)

(2012.4.13記)