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イッセイエッセイ

702号 体と心

2012年04月08日(日)

 昼休みにラジオ体操をした。
 外の天気があまりによいので、遠くに見える残雪の国見岳や山頂の発電用の白い風車を眺めながら、体を動かをしていた。風車は回転していないように見え、じっとさらに見ているうちに原子力の問題をどうするかなどと勝手な方向に想念が移っていった。ふと気がつくと、時間が経過してラジオ体操の方は、最後の深呼吸のメロディがもう終わりそうになっていた。そしてその時ようやく、体操をしていた自分を思い出した。
 その間、ずっと無意識にラジオ体操の順番に従って自動的に手足を伸縮していたのだと思うが、果たして実際そうだったのかはわからない。これは体と心が無関係に別のことをしていたわけである。
 体の方が、だいたい心に影響を与えるのだが、心の方がじゃまをしだすこともある。
 まんべんなく心が分散せず、特定の方向に偏ってしまい、それを自分が気にするというような現象がある。たとえば、自分の眼からは普通は見えないような鼻の先が気になって仕方がないとか、ペーパーの直角の先端に恐怖をおぼえるとか、どんな家電器具をみても人間の顔を想像してしまうとか、他人の顔をさかさまの視覚で眺めようとするとか、いつも通る道について一度来たことがあるような妙な気持になるとか。こうした話しは、さまざまな神経に係わるやっかいな心理状態の例である。他にもおもしろい困ったことがあるかもしれない。
 不眠というものも、この種の心が凝固したことによる身体にあらわれる癖である。不眠の意味は眠りになかなかつけないという身体の様子ではなく、どうしても眠れないという自分を、別の自分が意識してしまうときに完成する心理状況なのである。
 自己の心(精神)を統御し、体の方をリラックスさせる方法もないわけではない。丹田に心をおきながら深く腹式呼吸を繰りかえし、手の平や足の裏に体熱が集まるかのように心を集中してゆく。すると直ぐに体のその部分が熱く感じるようになり、上半身も脱力した呼吸の形となって交感神経がゆるみ出し、最後に眠気が出てくる(実際やってみるとそうである)。
 これは心身一如、養生訓の言うところの「心は体の主」の事実を示すものである。心の向け方次第によって体によい影響を与えることができる方法であり、ヨガや気功の精神統一にも通じるだろう。
 きょうのラジオ体操のように、ストレッチする部分にさっぱり気持ちを向けないまま考えごとをし、体を動かして知らぬ間にラジオ第一体操が終ったと言うのでは、おそらく効果の少ない運動になっていたのではないかと思う。

 

(2012.3.30記)