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イッセイエッセイ

696号 The Tale of Peter Rabbit(1902)

2012年03月26日(月)

 子供向けの本の英語にはどんな表現が使われ、どの程度難しいのか知るため、上掲の絵本を通読した。しかし、英語の文章よりも内容の方に関心が行ってしまった。なお、英文の方はやさしいはずなのだがむずかしい、難しくはないが易しくはない、と言った不思議さがある。

 さてピーターラビットの世界に登場する動物たちは、いずれも人間的な心理をもった動物である。また、人間と同じように仕事をしたり、人間の楽しみをもっている動物までいる。同じ動物が、場合によっては人間的になったり、野生的になったりもする。動物同士も助け合ったり、敵対関係になったりする。人間たちも農業主や御者や店員などで登場して動物と対等のつきあいをし、時には油断のできない相手であったりする。ごくまれに筆者のポターも出てくる。
 このように設定に統一性がなく、人間的な類型化において合理性が欠けている動物たちを中心にさまざまな世界を作り出している読み物であるが、この状態こそ、子供たちの混沌とした精神そのものではないかと推測する(かすかに残っている幼い頃の気持ちは、そんなことではなかったか)。
 そしてこの童話的な世界の中に、食べ物や食事の話しが入ってくると、冒険というよりは夢でよかったというような意味での現実的でリアルな世界が見えてくる。ウサギがレタスを食べたり猫がミルクを飲んでいる間はよいのだが、ネズミが大好きな猫の食事のことや、うさんくさい狐の狩りの話などが出てくると話しは牧歌的な風景ではなくなる。まして身勝手な人間が登場すれば、動物との関係はもっとやっかいになる。そこには文字通りの弱肉強食の原理が現出するのである。
 以下、23篇の物語の中からその種の箇所―
 ピーターラビットのお父さんは、農家のマグレガーさんの奥さんに肉のパイにされてしまった。
 悪戯リスのナトキンは、はめを外しすぎて島の主フクロウのブラウンおやじに危うく皮をはがされそうになる。
 グロスターの仕立て屋に住むネズミたちは、飼猫のシンプキンによって紅茶カップにとじ込められ食べられそうになるが、仕立て屋に助けられ、美しい服を作って恩返しをする。
 犬のダッチスは友達の猫のリビーに招待され策略を弄したものの、結局大きらいなネズミのパイを食べさせられる。
 カエルのジレミー・フレイヤーは魚釣り中に、大きなマスに食われそうになる。
 うっかり者のあひるジマイマは、狐の紳士の計略にかかって、自分の生んだ卵と一緒に鴨ネギになるところを、危うく農場の番犬たちに救出される。
 タビタ・トウィチット母さんの子猫のトムは、老ネズミのヒゲのサミエル夫婦につかまり「ねこまきだんご」にされる。食われるところを、お母さんや大工の犬ジョンによって助けられる。
 ピーターの姉プロプジーの子ウサギ全員は、農場主のマグレガーさんに捕まって布袋に閉じこめられてしまう。野ネズミのトマシナ・チュウチュウが穴をあけて脱出させる。
 雑貨屋が商売の黄色い雄猫ジンジャーは、家ネズミが来るとよだれが出てしまう。そのときは共同経営のテリア犬ジンジャーに相手をしてくれるようたのむ。
 お爺ちゃん兎のバウンサーは、アナ熊・トミーに油断をして自家に案内してしまう。そして息子ベンジャミンと嫁フロプシーの大切な赤ん坊たちをさらわれる。トミーと彼の宿敵キツネどんが取っ組み合いの争いの最中に、ピーターとベンジャミンが助けだす。
 子豚のピグリン・ブランドは、どこかの農場に雇ってもらうため、母に別れをつげてひとりで市場に向かう。道に迷い百姓の家に泊まると、そこで盗まれてきた黒豚ピグウィックに会う。ベーコンとハムにされることがわかっているので二人で脱出し、うまく知恵をはたらかせ州境の橋をわたることができる。
 子ブタのロビンソンはおばさんの代わりにスタイマス港の町に買い物に行く。外国船のコックに誘拐されて、ニクヤ船長の誕生祝いのごちそうにされそうになる。船員の靴みがきをしている黄色ネコに助けられてボートでボング樹の繁る無人島に逃げて暮らす。
(出典)
  ○The Complete Tales of Beatrix Potter
   The 23 Original Peter Rabbit Books published
   by the Penguin Group. Frederick Warne & Co. Ltd. London 1989
  ○愛蔵版 「ピーターラビット全おはなし集」(改訂版)
   石井桃子、間崎ルリ子、中川李枝子訳(福音館書店 2007年)

 上記の要約したストーリーの部分は、すべて食うか食われるかに関する箇所である。最後は危機一髪のハッピーエンドに終っているものが多いが、そうでないような場合もある。
 これらは幼い子供たちにとっては、大人が思うほどには残酷だとか不都合だとかは気にならない問題なのかもしれない。おそらく背景には、野生動物や家畜と人間が田園の中で日常的につき会っている英国の風土性があり、あるいはヴィクトリア期にみられる功利性や偽善的な時代風潮があらわれているのかもしれないと思う。ちなみにギリシアのイソップの動物物語には教訓譚はあっても、この種の即物性はない。日本のおとぎ話にも動物や化け物は沢山出てくるが、残酷さが日常化したような生々しさはない。
 そして、あひるのジマイマの話を読み、さらに子猫のトムの物語にまで来たとき、ビアトリクス・ポターの世界から突然に宮澤賢治の童話によび戻されてしまった。あの「注文の多い料理店」は、恐ろしい山猫が経営する店の話であり、いろんな調味料をかけられ食われそうになるのは人間の紳士の方である。二人の紳士は、蒸し焼にされそうになる「あひるのジマイマ」にまるで似ている。復讐のされ方も「ねこまきだんご」にそっくりである。たしか最後に猟犬の吼え声で窮地を脱するところも似ている。
 ちなみに「注文の多い料理店」は1924年の作品ということである。ポターの著作がはじめて日本に紹介されたのは、1918年の「子供之友」(婦人之友社)に掲載されたものとされていたが、最近の研究ではもっと早く、1906年の日本農業雑誌の「お伽小説 悪戯な小兎」であるとされている。
 東西の童話作家が巧まずして共鳴したのか、それとも伝播による共感で創られたものなのか。 

(2012.3月記)