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イッセイエッセイ

695号 祝辞について

2012年03月25日(日)

 仕事柄、たくさんの場所に出ていつも祝辞を述べる。今日もそうであった。でも祝辞を述べるということは、これをまじめに考えたとき、何を意味するのだろうか。イベントに対して祝意をあらわすのは、何のためのものか。
 つまり出来事を祝すのであるが、グリーティング、たんなる挨拶とはすこし違う。今この場に集まってきた人たちをほめる、また行事の行われているこの場所や地元全体のこともほめている。
 われわれとは文化の違う国々でも、スピーチはあるが祝辞という表現はとるのかどうか、それがどんな調子のものなのか。しかし、日本人の祝辞ほどにはほめることが中心ではないかとも思う。
 日本人の国民性の中には、その土地のことや景色、住まいなどをほめる形で発生した系統の歌の伝統があるそうだ。また叙景詩といわれるものは、旅先での人々の宴から生み出されたものだ、という折口信夫の文章を今晩読んで、祝辞についての以上の反省的な感想をふと抱いたのである。
 (「叙景詩の発生」大正十五年、「折口信夫古典詩歌論集」岩波文庫 2012年から)
 折口信夫が最もすぐれた叙景歌として挙げるのは、次の高市黒人の歌である。人麻呂や赤人よりもすぐれているという。
  何処(いづく)にか 船()てすらむ 安礼(あれ)の崎 漕ぎ()み行きし (たな)無し小舟
  (注)作者は高市黒人、生没年不詳(持統・文武期)

 ここから表題の話題から脱線する。
 万葉の羈旅歌の起源について。―
 「旅の途すがら、海原を見霽(みはら)し、美しい花野の(ひら)けて居る場所に来た旅人たちが、景色にうたれて、歌を詠じたものと考えて居た。併しそれは単なる空想であった」と言う(上記書の25頁)

 昔から日本人は、堅い方面の学問、専門の道をあまり好まなかったことについて。―
 「奈良朝或いは、それ以前から、日本人の文学ずきで、硬い学問を(おろそか)にしたろう形跡は見えて居る」(同書26頁)

 飛鳥時代、秀吉在世当時、綱吉在世の時代の活力について。―
 「うわついた時代だからと言うて、国民生活が悪く傾くとは言われない。(かえ)って小さな害悪をのり越えた、張りに充ちた社会意力が出てくることが多いのである」(同書31頁)。

(2012.3月22日記)