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イッセイエッセイ

694号 与える・もらう

2012年03月24日(土)

 私は菓子類の好みから言うと、せんべいが好きである。だから、欠餅を焼いて食べるのも好きである。そして他人もカキモチが好きなのではないかと勝手に思う。このカキモチも最近はそのまま焼いてもふっくらと展がらない。そこで一度レンジをしてふっくらさせて焼くのだが、どうも片面に曲ったままになることが多い。
 ピーナツとか柿の種と同じく、せんべいを食いはじめると、切りのないところがある。一枚一枚と食べてゆき最後の一枚になる。本を読みながら、最後の一枚を口に入れてしまったのに、まだ有るかと勘違いして袋に手を伸ばしたりする。残念ながら白い乾燥剤だけが袋の中に残っている。
 机上にそのままに残った乾燥剤を、コンブが入っている函の中に移しながら、ふと次のようなことを思った。
 乾燥剤は周りのものを乾燥させるためのものであるが、それ自体が乾燥するのではない。現実は逆であって、周りの水っ気を吸収するのが乾燥剤の仕事なのである。
 知っておくべきことは、対象に向って何かの作用を及ぼすモノは、みずからモノとしては反対の作用を受けるという事実である。
 これを人間にあてはめると、物質のように完全に過不足のないエネルギー代謝とはならないだろうが、基本的にはエネルギーの移動が中心にあることに変りない。
 ここで例えば教育であるが、生徒と教師の関係でいうならば、教師は子供に対して情熱、知識などエネルギーを投入する役目を負っており、その逆ではない。子供から元気をもらっていると言う先生も時々おられるが、子供の元気良さをほめる意図であればそれでも結構である。そして子供に対し教師が力を尽して全てのものを注いでいった場合に、教師の方はどんな状態になるのだろうか。時間をうばわれるであろうし、自らの知識が不足してくることも切実に感じるではなかろうか。 

(2012.3月記)