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イッセイエッセイ

693号 「満州事変から日中戦争へ」加藤陽子著(岩波新書 2007年)から

2012年03月19日(月)

(1)満蒙特殊権益を死守するとした日本の主張について、さまざまな新しい歴史資料も用いながら、経緯や問題点を論じているが、結局は次のようなことに帰着するとしている。――
 いわゆる満州問題には、当時のロシア(ソ連)に対する日本側(陸軍)の脅威感が基底にあった。
 満州は日本の防衛ラインを中ソ国境の地理的境界まで押し返しておくためのものであり、また将来の対米戦の補給地として考えられていた。しかし、この戦略意図は国民の前には隠されていて、国民向けには、条約を守らぬ中国、日本商品ボイコットの不当な中国といった排外感情を煽動した。
 日中戦争に至っても、対ソ連のために軍事費が多くつかわれ、日本は上海事変・南京戦などにおいて、実際は全力をもって中国と正対していなかったという問題があった(以上は、同著の各所及び「おわりに」から)。
(2)満州事変や国際連盟外交の時代になると、日本のメディアが沈黙しはじめたのはなぜか、については次のような見解を述べる。――
 新聞の変化がなぜ生じたかについては、東京や大阪の大新聞と通信社の勢力が、地方を席巻し始めたことと無縁ではなかった。「明治の民党の伝統以来、地域では大きく分けて政友系と民政系とに新聞社が二分され、中央の大新聞の地方版を圧倒していた。戦争となれば速報力と写真報道が新聞の大事な武器となってゆく。多数の飛行機と写真伝送機を有する『大阪朝日』と『大阪毎日』の大阪系二紙が地方紙に本来あった多様化を蚕食していった。」(以上は、同著120頁、第4章「国際連盟脱退まで」から)

(2012.3.19記)