西川一誠後援会サイト

イッセイエッセイ詳細

イッセイエッセイ

690号 江戸を知る女性

2012年03月07日(水)

 今夜のラジオの「朗読の時間」に、ソウマ コッコウという女性の随筆「広瀬川」が流れていた(朗読者 小宮和枝)。聞いたことのない人名なので事典で調べてみると、相馬黒光(1876―1955年)という人である。仙台から東京に夫と共に出て新宿中村屋を創業し、一方で多くの芸術家や外国人(荻原守衛、中村(つね),露のエロシェンコ、印のR.B.ボースなど)を物心面で援助した女性だとわかった。
 明治維新によって、仙台藩士の家柄から大きな生活転換を強いられた。家族みんなで自給的なきり盛りをして暮らしていた頃の少女の「想い出の記」である(第1回)。そこには、役人のときには賄賂を拒否し今は子供たちに漢籍を教える厳格な祖父のこと、躾の厳しい母との間に立って孫たちをかばってゆく祖母のおだやかな姿などが語られている。家作や家事、夜なべ仕事など休むことなく躰を動かして生活をたてている「三世代同居」の家族の姿がある。茶の栽培、蚕の飼育、干柿作りなど「6次産業」的な風景も出てくる。
 雪の夜には家近くに狐のコンと鳴く声がきこえ、鶏がいなくなったりする。怖いのでご不浄にはお祖母ちゃんと一緒に行くなどなど、幼い昔の思い出話しもある。
 朗読から感じられる相馬黒光の随筆の文体は、すこぶる平明な描写でありながら、生彩にみちた印象を与える。
 明治の初め頃は、江戸期の文化、文政の風潮の遺風がまだ残っていたということである。実際どういう感じであったのかまでは、残念ながらその時代の人たちにしか本当はわからぬことである。戦後の気風や習慣など、どんどん世の中が変わっていく様子は、今の若い人に説明をしようとしてもできないのと同様であろう。
 この時代の地方から東京に出た代表的な女性の言動には、いずれも強い執着力と気風(きっぷ)の好さをもった人間的雰囲気があり、それを今のわれわれが好ましく感じるのである。同じく東北の八戸出身である教育家の羽仁もと子(1873―1957年)、あるいは「幕末の水戸藩」の著者である山川菊栄(1890―1980年)、また相馬黒光と同じく明治女学校の出であり九州大分の出身である野上弥生子(1885―1985年)などがそうである。

(2012.3.4記)

 文化・文明期の時代雰囲気が明治初期にはまだ残っていたという感想は、同じ日に車中のCDで聞いた朗読、長谷川時雨(しぐれ)(1879-1941年)の「日本橋」の文章と混同しているのかもしれない。時雨は東京下町出身の作家であり、この女性も若い小説家を支援した人である。 

(2012.3.7追記)