西川一誠後援会サイト

イッセイエッセイ詳細

イッセイエッセイ

689号 少年の英作文

2012年03月05日(月)

 ジョセフ・C・グル―は、日米緊張が高まっていた1932年(昭和7年)に駐日大使として来日し、1942年(昭和17年)まで10年間の任期中、日本との開戦を回避すべく努力奔走した外交官として知られている。戦後も日米親善に努力したといわれている。このグル―大使が残した昭和史の一級資料である日記「滞日十年」を昨年末に読みはじめた。
 日記の最初の頃の日付に、日本人の少年から届いた英語の手紙がのっている。英語の文章としてはすこぶる奇妙であるが、面白いと感じて、グル―大使は日記の中に記録したものと思われる。
 小生としてはちょうど英語教育の予算をどうしたらよいか関心を持っていた時期であったので、このところまで読み進めてなぜか一息ついてしまった。日記の内容よりも英語の手紙の方に興味が行ってしまったのである。かつ同時に、この時代の歴史背景をもう少し勉強しなければ、グル―の日記を興味をもって十分に読めないことが分かったからである。
 さてこの手紙、少年の一筆啓上の心意気と大胆さは良しとして、次のような日記にメモされた文章をあらためて読んでみられたい。

引用  『日本の少年からの手紙 一九三二年九月二十日』
     ある日本人の生徒がよこした次の手紙は、記録に残す価値がある。

Dear My Sir
 How do you do?
 I am a young boys of eighteen years old but I am so very like of Aeoroplane that of cause most like of aeroplane. As only a photograph to amuse me. Japan have not only slightly aeroplane photograph and it is high price and value. I am a want of good beautiful Aeroplane photograph.
 Please no laugh. Please no laugh of my convenience demand.
 If you have photograph of aeroplane now please give me one peace or two peace curtiss all right bouwing all right moth all right.
 If you give me it how a joyful and happy and you have not now please teach me address your country of famouse Aeroplane company.
 Sir please allow my convenience demand. Please Please.
       Good by Sir
         YOUNG BOY

「訳註」前に掲げた中学生の手紙、新聞記者の名詞ならびにこれらは、英語があまりに面白いので記録されたのである。これを訳しても何にもならないから、そのままで出すことにした。      

 これを普通の英文に直すと以下のような手紙になるようだ。しかしグルー大使が記録に残す価値ありとして日記に印した飛行機少年の英作文は、まことに元気にあふれており、英語を使った目的も実にはっきりしている。

[修文例]
Dear Sir,
 Greetings. I am a young eighteen year old boy. I like airplanes very much, but I only have pictures. In Japan there are only a few airplane photographs, and they are expensive. I want a good, beautiful airplane photograph.
 Please do not laugh at my request.
 If you have a photograph of an airplane, please give me one. A Curtiss, Boeing or Moth is all right.
 If you give me one, I will be very happy. If you don’t have one now, please teach me the address of a famous airplane company in your country.
       Sincerely,
        A Young Boy

 「第一章 日本を覆う暗殺者の影」、つまり日記の前半のところでの日米間の国際政治については省略し、以下は大使の仕事の仕方などについての所見の部分について参考になるところを抜粋した。

 「・・・について僅かに語った。それでも彼らは満足し、気持ちよく別れていったが、これは何も話さないよりはよほどいいのである。ホノルルのある新聞は・・・」1932.5.18使命開始さるる。

 「私がオリンピック競技について語りもせず、また愚鈍にしてそれが会議の有益な話題になるを思いつきだにしなかったことを考えると、日本の新聞は私よりも遥かに外交官的である。」1932.6.7新大使に関する新聞論評

 「・・・経験したこともないような忙しい一日だった。幸いなことに私は七時半に起きて九時には事務所の机に向かっていた。私はこれを続けるつもりでいる。館員は執務時間については、たしかに活を入れなくてはならない。」1932.6.7謁見の準備

 「私はあらゆる色合の議論が聞きたい。また私は一定の時間にきまった会議を開く習慣を持っていない。何故かというに、このような会議は、とかく強制的なものになりやすく、あまり役に立たないからである。それよりも私は何か特別に議論する問題が起こった時、随時会議を招集する」1932.6.13大使館員への訓示

 「人間の心配の多くは・・・われわれがそれに負けていると神経衰弱になるような性質の心配のことだが―全然不必要な危惧に基づいている」1932.6.14天皇の引見

 

(2012年2月記)