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イッセイエッセイ

687号 歴史行動学

2012年03月01日(木)

 「敗軍の将は兵を談ぜず」とは史記にある言葉である。敗けた戦いについて当事者があれこれ語る資格はない、という意味である。また語りたくもないという敗者の気分もあるだろう。もっと極端には、国亡びて語る者なし、である。
 こうした事情により、敗れた側における戦争の冷静な分析や反省、さらには記録の保存や後世代への教育などは、どうしてもおろそかになる。
 私たちは生徒のころ日本の歴史を習ったものの、最後の第二次大戦のあたりになると、時間割の関係や余りにも最近の出来事であったためか、戦中・戦後の厳しい生活のことに話題が及ぶ程度で、その時代についてまともな授業を受けなかったと思う。
 日本の近現代史を読む際にも、日清・日露の戦役までの時代については、「坂の上の雲」ではないが、歴史のみならず人物伝としても面白さがある。しかしそれ以降になると、どうにも気持ちが重くなり、手早く戦後の復興へと読み進めてゆく力の方がつよく働く。この時代の歴史をうまく上手に、事実に反しない形で読ませる歴史本は余りみたことがない。
 『それでも、日本は「戦争」を選んだ』という本は、これまでのように、どちらが正義や倫理にかなったか、正当な戦争か侵略戦争か、というような論理立てを最初からしない。
 なぜ日本や他の国々がかくかくの行動をとったか、当時の人たちは問題をどう捉えていたか、どの判断は賢明でどの選択は失敗であったか等、本書は私立中学校(栄光学園)の生徒との五日間の特別授業、対話をもとに記述している。
 形容が適当かどうかさておき、囲碁の試合の観戦記者のように、対戦者相互の心理や作戦も入れ、歴史的な事実や因果関係にせまっていく。専門棋士の終局は、最初に敗者の方から相手に語りかける形をとっている。どの石が敗着であったのか、別の良手は有りえたか、を客観化して評価する。もう一度元の場面に戻って石を並べ変えたりもする。これも表現はともかく歴史に話しを転じて、仮にこれを「歴史行動学」として理解すると、近代史の読み方はずいぶんと多面性をもつことになるだろう。
 明治から第二次大戦までの近代史教育についての方法論、つまり歴史をどう正しく且つ「興味深く」教えるか、明治期の帝国主義の時代から終戦までの「連続性」をもった歴史観をどう構成するか、しかも現代の厳しいグローバル世界を生き抜くために「役立つ」ように授業を行うことができるかは、日本の教育の眼目となるテーマである。
(「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」 加藤陽子著 朝日出版社 2009年) 

(2012.2月下旬記)