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イッセイエッセイ

678号 現代をみる

2012年02月22日(水)

 正月のカルチャーラジオ「学ぶ力知るよろこび」(1月2日)から。聞き手は三氏とも山田(よし)(ひろ)(元NHKアナウンサー)。
 なおラジオ放送の関心のあったところだけの聴き書きメモゆえ、はなはだ部分的かつ不正確なることをおことわりする。したがって昔のことだが、戦後まもない頃のNHKニュース「ラジオプレスが聞いた今朝のモスクワ放送によりますと・・・」という言葉をつい思い出す。
 (1)まず、野村進教授(ノンフィクション作家・拓殖大学)のお話し。
 ノンフィクションは、先入観、偏見のくつがえしである。
 社会は「多面体」であり、いろんな対象を、いろんな角度から、借りものでない自分なりの確かな物の見方で世界を見る。
 ノンフィクション作家としては、透明人間が理想である。仲介者でもある。相手と同じものを食べる、スラングやジョークがわかるという段階がいる、信用が第一である(比島の反政府組織の取材体験などから)。
 これまで在日コリアン、長寿企業、救急精神病棟など取材。いまは、在日チャイニーズ、認知症病院を取材中。コリアンの問題も現実社会での構造を知ることが大事なのであり、これによって一面的な見方が修正される。北米のコリアンはラテイーナに対して抑圧者側、しかし日本ではずっと被抑圧者側と見なされている。
 いまの学生たちは自分探しをし過ぎる。IT社会も自己中心を加速させている。社会的にもLook at meからLook at themが望ましい。これがノンフィクション作品にもつながる。
 (2)次の加藤陽子教授(東京大学、歴史学者)は、日本の近現代政治をどう読みとくかをテーマにしている。
 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』がベストセラー。この本の標題は編集部が選んで決めたようだ。この方が公平かと言う。
 歴史上の出来事は同じでないが「どういうところが似ているか」、戦前と今との間で「経済のみならず社会全体への不安」といった似ているところの比べ方、が歴史の見方である。
 なぜあの戦争に敗けたのかの問いかけではなく、敗戦か終戦かの用語を悩みながら使う立場がよい。1930年代の民政党の退潮と現代の自民党のそれの類似。物事について、こういうもんだと比喩で教えてくれる大人がいることが大事(ご隠居と八つぁん、態さん)、理系のサイエンスライターのようなもの。
 D.H.ノーマンにならい、歴史家は控えめ、裁かない、弁護しない、公正な教えが望ましい。
 女性は戦争に直接行かない。しかし男と比べて記憶が強く、歴史の墓堀人になれる。
 若い人にはいろんな本を読んでほしい。これがシプナス(神経節)となって、思わぬつながりとして将来に生きてくる。各著者の最初の二頁に読者として注目すべし。
 「坂の上の雲」の評価はどうか(質問)について。面白く書かれている。司馬遼太郎は太平洋戦争と日露戦争の違いをはっきりさせており、軍国主義の変化に気をつけている。秋山真之の面白さを知ってほしい。
 (3)その次に、上滝(こうたき)徹也(日本大学芸術学部教授)「ラジオの可能性」、3.11を背景にしながら、ラジオの将来を語る。
 ラジオは読者に語りかける。テレビは画面に向かってさわぎたてる。ラジオは、年長者にとってノスタルジーであるが、若者にとっては新しい手段である。ICTデジタルとの結びつきも強まるが、ラジオは少消費型のメディアである。

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 (4)徳島の祖谷に三十年来住むというアレックス・カー氏(「美しき日本の残像」などの著作がある東洋文化研究者)が、昨日(正月の某日)のラジオに出演。
 日本の文化や景観が、高度成長から今日までに極端に崩れたのは、そのスピードの早さ、西洋技術との矛盾、開発技術の不勉強などが原因となっている。日本が、すばらしい文化や自然を壊しているのは「もったいない」の一言につきる。いま日本の景観が退屈になっている、これが海外旅行流出につながっている。中途半端なものは外国人も求めない時代である。 

(2012.1月の記)