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イッセイエッセイ

676号 日清戦争・日露戦争(1890年から1910年の20年)

2012年02月20日(月)

 二月中旬に台湾を訪れる機会をえた。片道で三時間程度の飛行機の旅程である。往復の機中の時間の使い方がどうにもならないので、台湾と日本の間の近代史に関係ある『日清・日露戦争 シリーズ日本近現代史③』(原田敬一著 2007年岩波新書)を読むことになった。
 この本の目次には、日清戦争の次の章に「台湾征服戦争」という一章を起し、(1)苛酷な征服、(2)「外地」の誕生、(3)膨張の逆流(国語の誕生)、という流れをつけて、日清間の下関条約で決めた台湾の割譲後の歴史の実際を書いている。
 あとで調べてみた「詳説日本史」(山川出版 1997年)では、日本政府は「あらたに領有した台湾の統治に力をつくし、1985年(明治28年)、海軍軍令部長の樺山資(かばやますけ)(のり)を台湾総督(そうとく)に任命し、島民の強固な反対を武力で鎮圧し、翌年には陸海将官を総督する台湾総督府条例を制定した」と記述している(267頁)。
 また、「日本人の歴史教科書」(自由社 平成21年)を眺めてみると、「日本は日清戦争のあと領土とした台湾でも、住民の抵抗をおさえて台湾総督府を置き、現地の開発を行った」と記述している(173頁)。
 シリーズと併行して通読した「それでも日本人は『戦争』を選んだ」(加藤陽子 2009年 朝日出版社)では、台湾領有そのものの解説はなく、日露戦争によって「島国であった日本が、中国やロシアと直接接する韓半島(朝鮮半島)を国土に編入し、ユーラシア大陸に陸続きの土地を持ってしまったことを意味します。日清戦争で日本が清国から奪った土地は台湾と澎湖諸島でしたから、獲得した植民地自体、どちらも島だったわけですので、この点、大きな変化といえるでしょう」と記述する(戦争の「効用」144頁)。
 どの歴史書も、台湾領有問題について必ずしもクリアな形では歴史的判断を加えてはいないが、表現に相当の違いがある。
 なお、台湾領有の前史となった日清戦争(1894-1895)の意味について、この加藤著では「日清戦争というものは帝国主義戦争の代理戦争だというところでは、不可避だったと思います」(133頁)、そして「日清戦争は帝国主義時代の代理戦争(注 イギリスとロシア)でしたが、日露戦争もやはり代理戦争(注 英・米と独・仏)です」(174頁)とみている。
 この点について、シリーズ日本近現代史の原田著では天津条約(1885年)体制により、「日本が朝鮮への積極的侵出を計らないかぎりは、日清戦争の可能性は低かったのである」(53頁)と解説する。そして日露戦争(1904-1905)についても、ロシアの最終的な妥協案は日本が主張してきた「日本に有利な満韓交換論に基づくものだったが、それが東京のローゼン駐日公使へ届かなかったのは、開戦を前にして満州地域で日本軍が行っていた電信線破壊のためではないかと推測されている。日露戦争は両国にとって戦わなくてもよい戦争であった」(208頁)とする。
 このように偶然読むこととなった二冊の歴史書の間だけにおいても、戦争の理由や原因、意味づけについて見解がちがっている。 

(平成24年2月18日記)