西川一誠後援会サイト

イッセイエッセイ詳細

イッセイエッセイ

673号 ロレンスの失意

2012年01月31日(火)

 じつに久しぶりで「アラビアのロレンス」を全編みた。BSプレミアムの劇映画を収録したものである。この映画を最初に観たのは学生のときである。
 映画のはじまりのロレンスのオートバイ事故による死の画面。そして砂漠を舞台としたインターミッションをはさんだ長い物語。最後は砂漠の砂ぼこりの道。帰国に向けジープに乗る失意のロレンス大佐が映る画面。とくに映画の最初のところの映像は、そういう場面があったことについて記憶がある。
 その後、この映画は数十年間のあいだにもテレビで再放送されたのかもしれず、一部を断片的に観たような印象もある。
 今回、長い全編を数回に分けて通してみたのだが、自分の若いときは、初めと終りのはっきりしない何か不可解な映画だと思った。しかし今回改めて見た印象は、全く別の方向のものである。それは政治という問題であり、統治し統治される能力、別の言い方をすれば支配し合える能力、という自分の今にしてやや理解できうるテーマについてである。
 ロレンス率いる砂漠の民たちの奇襲によって、アカバの要塞が陥落する。そして世界の注目が集まることになったロレンスとアラブ遊牧民の集団は、更に英軍よりも早くダマスカスに到達し、トルコ軍から同市を解放する。しかし武力の上では勝利したものの、アラブの諸民族には、一番大事な統治したり逆に従ったりする力、政治の習慣や妥協といった精神が全く欠けている。したがってまた、電気や水道、病院など住民が生活している都市を管理する能力も持ち合せていない。
 民族の首長とその集団は会堂に集まって大激論するも、民主主義的な衆議にならず対立したまま争乱し、それぞれが離散し、砂漠の地に戻って行ってしまうのである。結局は、イギリス軍とファイサル王の双方による政治的交渉、いわゆる老人たちの政治の世界に落ち着くことになる。
 さて、ここにみるアラブの民の政治的習慣の不足、修練の無さ、これに対するロレンスの落胆と憂鬱は、「アラビアのロレンス」にみられるだけの問題ではないことに注意がいるのである。
 政治学をもっと学ばなければならぬ、と怒りをこめてダマスカスの宮殿を去ってゆくロレンスの友シャリーフ・アリの言葉は、わが日本人にも当てはまることかもしれぬのである。アラビアのロレンスの物語のように、歴史的にはっきり目に見える場合でなくても、もしも政治的な統治能力の成熟度が相手よりも微妙に低くければ、政治的な実力不足によって、自国の運命を決める交渉等において劣位の立場に立つような国になるであろうからだ。
 配役はピーター・オトゥールのほか、シャリーフ・アリ(オマー・シャリフ)、アウダ・アブ・タリ(アンソニー・クイン)、ファイサル皇子(アレック・ギネス)、アレンビー英国将軍(ジャック・ホーキンス)など。なお、ともに不運な事故にあって命を落とす二人のアラブの少年は無名ではあるが、この映画を引き立てている。 

(2012.1月記)