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イッセイエッセイ

671号 百代の過客

2012年01月10日(火)

 12月31日の年末特集カルチャーラジオスペシャルを聞いた。これは開局八十年を記念し第二放送がNHKアーカイブスの中から選んで流したものであり、「あのなつかしい声をもう一度」という名前の番組であった。解説は大村彦次郎、湯浅篤志の両氏、進行が宇田川清江さん。どういう方々かはよくしらない。
 第一部として最初は、文学者が自作を朗読するものであった。
 まず大佛次郎(1897~1973)が「赤穂浪士」を朗読するのを聞く(1973年3月2日放送)。堀内隼人と蜘蛛ノ陣十郎が、大石の本心を互いに探らんとして、ちょうど語っている場面である。司馬遼太郎のことを、大佛次郎が理想と見ていた国民作家であったという解説である。
 次に谷崎潤一郎(1886~1965)が「細雪」から「螢狩」のところを朗読(1953年2月10日放送)。描写が古典的、古文的である。谷崎潤一郎が文化勲章を受けた際、吉田茂がさざめ雪と述べたのを、御前に同席していた志賀直哉が咎めたというエピソードが紹介された。
 次に永井荷風(1879~1959)が「断腸亭日乗」を読む(1952年12月26日放送)。汽車に乗って岡山に住む谷崎潤一郎に会いに行くところの文学史的にも面白い話しの日記部分である。
 1925年に第二放送が始まった頃は(第一放送開局はその六年前)、今と同じように外国語の語学講座が番組の中心になっていたようだ。学校用の一般的な科目の講座もあったと説明。NHKの文化関係の部長に久保田万太郎がなり、ラジオ放送が文芸の講話や朗読などに積極的に利用されるようになった。
 最後は「二十の扉」(昭和22年11月1日~昭和35年4月2日の12年間放送)から、昭和27年6月7日の「文壇二十の扉」が流れる。「二十の扉」のことを家人にきくも誰も知らず。さて、出演はまだ若かった高見順、それから川端康成、永井龍雄、武者小路実篤(吉屋信子の代理)、そして里見弴。いまのテレビやラジオの出演者とのちがいを痛感する。司会は藤倉修一アナウンサーであり、実に進行のとりなしがうまい。あてものは「猫」、「金魚鉢」。 第二部はインタビュー。
 水谷八重子(1905~1979)の「芸と人」、中西龍アナが聞き手(1979年3月12日放送、女優の亡くなる年である)。女性の顔には、あめのうずめの命(おかめ)型と般若型があるそうであり、女優の語るところによると自分は前者のニックネームでよばれていたという。語尾をあいまいに濁さない、声をよく届かせることに優れていた女優であったと解説。
 次に徳川夢声(1894~1971)の「芸談」(1954年1月10日放送)。渋沢ひでおアナ(?)が聞き手。話しの間のとり方がよろしい。
 榎本健一(1904~1970)の「ぼくの少年時代」(1955年8月24日放送)。エノケンは東京生まれである。インタビューの若い女性アナウンサー(名前の紹介なし)が素晴らしくすてきなよい声であった。この女性いまいずこや。エノケンの「何がなんだかわっからない・・・」といった調子の、聞いたこともない歌も放送される。節回しは簡単そうで易しくはない。
 第三部は、湯川秀樹(1907~1981)の「人生読本―いま必要なこと」から一部を放送(1973年12月20日放送、66歳のとき)。以下そのあらまし(といっても正確にはあらず)。
 「年とると、世の中のことが、これは俗なことだが、だんだん分かってくる、面白くなる、興味が持てるようになってきた。しかし興味が増えすぎて困る。生きている世界と自分とがどういう関係にあるのかに興味。人に会うと質問がすぐ五つや十はあって、専門の人に尋ねて困らせるので迷惑をかけている。これが喜びである。
 60歳をすぎて孫が二人生まれ、自分としては予期しないことが起きた。愛情が生まれてきてびっくりした。決定的に大事な自分の小さい時のことが自分ではわからなかった。しかし孫と遊んでいて、自分のことではないが幼児期のことを勉強し得ることがあり、ありがたい。子供のころ、漢籍を教わったおじいさん、そして二人のおばさんが家にいた。三世代の関係は、親子の関係とは違う、ふつうの感情とは違う淡白な意味のある感情である。小さい子に対する愛情が変わってきた。何も関係のないことではないと思う(自分のメモが意味不明)。これは煩悩かもしれないが、面白い。いまの現実は深刻だが(当時の物価、石油が高いことを述べるのである)、互いの関係や欲望の満足が破綻している(これもやや不明)。なおさら人間同士の温かい気持ちがますます重要。宗教や道徳の規制とは違う意味で言うてるんです(そのものの言いまわし)。」
 日常的な感情や実感をそのままにしないで、より深く意味を求めようとしている科学者の心を改めて理解した。
 名のあった既に亡き人たちの声を聞いて、むかしの人たちが、まるで旅人のように宿の前を声をかけてすぎて行くのを見るような気がした。 

(2012.1.2記)