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イッセイエッセイ

670号 政権・世論・階級・世代・公正(ブレア首相の回想)

2012年01月08日(日)

 この正月からの「私の履歴書」(日経新聞)は、英国の元首相、18年間つづいた保守党政権を打倒し、労働党政権を10年間率いたトニー・ブレア氏の自叙伝である。
 元旦の一回目は1997年5月、43歳で首相としてはじめてダウニング街に足を踏み入れた当時を振り返るところから始まっている。群衆の中には祝福と希望があふれていたが、私一人は恐れの感情を抱いており、それはかつて味わったことがない類のものであったと書く。
 「私は現政権を崩壊させることに夢中になっていたが、時とともに次のようなことがわかってきた。たとえば政府が正しくても、いったん世論が機嫌を損ねると、政府が正しいかどうかはどうでもよくなってしまうのである。」
 日本の政権交代後の参考になったはずの教訓。政府が正しくとも、というこの点も又問題となる前提なのだ。
 「私は伝統的な意味での左派あるいは右派の政治家ではない。ニューレーバー(新しい労働党)と呼ばれる党近代化論者であり今でもそうだ。私は英国を階級よりも実力に関心を向け、開かれた社会とグローバル経済を受け入れる国にしたかった。」
 イギリスの階級、民族、宗教問題の実際について日本人は全く無知であるので、イギリス生まれの(イギリスと関係の深い)制度であるマニフェストや小選挙区制などについて、われわれはしばしば見当外れの理解をすることになるのだ。
 「58歳になった今、感じるのは自分が指導者だったときに、いかに無知だったか、世界にはいかに多くの学ぶべきことがあり、その変化のプロセスがいかに魅力のつきないものかということだ。時に自分があまりに若く指導者になってしまったのではないかと思うほどだ。」
 メディアが喧伝する世代交代論、新規好みの論調と無関係なブレア首相の反省意識ではない。
 「もちろん私の政権時代の重要な出来事については、決定を下した者の目を通して説明する。客観的な記述ではないし、そういうふりもしないが、それが公正と受け取られることを望む。」
 客観的な記述のふりもしない・・・、というところは日本の政治の場では使われない面白い表現である。
 首相就任時から現在では14年の歳月が流れている。この第1回目には最近の筆者の写真が載っているが、かつての首相とは別人のように見える。 

(2012.1.9記)