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668号 古事記の食と蟹

2011年12月13日(火)

 古事記が完成したのは、和銅五年、西暦712年の正月であると伝えられている。したがって来年が成立1300年の記念の年にあたる。11県知事ネットワークの島根県や奈良県などとの共催イベントも出てくるはずである。
 さて古事記では福井のことに関係した記録は多くない。日本書記においてたとえば継体天皇のことが詳しく登場するようにはなっていない。地名としては高志、高志の国、高志道(こしのみち)、高志前(こしのくち)の文字が書中にあり、これに関して若干の記述が十箇所ばかりある。また若狭の地名が二箇所出てくる。
 とくに上巻の大国主神の項において「高志の国に 賢し女を 有りと聞かして 麗し女を 有りと聞こして さ呼ばひに 有り立たし 呼ばひに 有り通はせ 云々」とあるように、出雲国と高志の国の大きなつながりを記述するところがある。この大国主神の求婚相手は、沼河日売(ぬなかはひめ)という名の女性であり、古事記上は姫君が高志の国のどのあたりの出自かは定かではない。古典文学全集の解説において、延喜式の神名帳に奴奈川神社(越後国頸城郡)という地名ありと記されているので、越前の国のことではないのかもしれない。
 むしろ最も多くの文字がついやされているのは、古事記中巻、十四代「仲哀天皇」の項の「気比大神」である。そこには「高志前の角鹿」の地に祭られた気比神宮、そして敦賀の地名のいわれが詳しく記されている。解説では気比(けひ)はケ(食)ヒ(霊力)の意で、敦賀の浜で神から御食の魚を賜ったことに対し、御食津大神(みけつおほかみ)と()づけたとあり、この名に由来する。よって古事記は今に気比大神というと記している。このことから気比神宮は食物の神様であることが推量される。
 またもう一つ。中巻の十五代応神天皇の項に宇治の木幡に住む矢河枝比売(やかはえひめ)が、旅の途中の天皇を接待したとき、食膳に供された蟹を、天皇がほめてうたわれた歌がある。
 「この蟹や 何処の蟹 百伝ふ 角鹿の蟹 横去らふ 何処至る・・・」とあり、これが本邦における越前蟹の、めでたき初出ということになろう。

                          「古事記」日本古典文学全集① 小学館 1997年 

(2011.12.10記)