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イッセイエッセイ

661号 「国際共通語としての英語」(鳥飼玖美子著 講談社現代新書 2011年4月)

2011年11月19日(土)

 英語の音はスペルと連動しないことが多い。子音の連動など他の言語にない特徴があり、決して学ぶのにやさしい言語ではない。しかし、それが共通語になってしまい、他の言語の者が迷惑している(第一章18頁)。
 音韻学を研究しているジェニファー・ジェンキンズの「共通語としての英語」は、共通語として機能するための核(コア)を見つける試みをしている。これは母語話者(ネイティブ・スピーカー)の発音モデルではなく、そうでない人たち間で、少しぐらい間違えても相互理解が可能な方法は何かを研究(継続中)している。
 例えばtheを「ザ」と発音しても、分かりやすさの点からは大きな障害にならない。lとrの違いも文脈から想像がつき、過度に心配する必要はない。英語は母音の数も多いが、母語話者も地域により発音がちがうので余り気にする必要はない(19頁)。
 しかし「子音の連続」は日本語になく、これに母音を付けたりすると音節の長さに影響しドタドタして理解されなくなることが多い。例えば〔didn’t〕は、子音が三つある中に母音がiの一語だけの語であり、日本人には非常に発音が難しく、間違って発音するとどうしても理解されにくい(20頁)。
 イントネーション(上げ下げ)は、状況によりいくらでも変わるので、一律に学ぶほどのことはない。むしろ強弱のリズムや単語の中の強弱が大切である(23頁)。
 心の痛みはaching experienceとは言わずpainful experienceとしか言わないのだが、前者が共通語としては「少し不自然な感じのする英語」だが、許されるということになろう(25頁)。
 学校で文法を教えることは必要であるが、問題は教え方である。文法がつまらないから文法不要論も出ている。用語を減らし文法事項を整理し、優先順位をつけること、文法の教え方を工夫することなど、なお教え方の開発の必要性あり(30頁、32頁、33頁、35頁)。
 文章訳読法が日本のみならず世界中で使われてきた指導法であるのは、「教師にとって負担の軽い指導法」のためだからである(34頁)。

(2011.11.13記)

 以上は表題書の中の、関心をもった部分の抜粋要約である。その後先生に直接お会いして意見をうかがったところ(2011.11.16)、ともかく何をするにも問題は教員であるということであった。 

(2011.11.18追記)