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イッセイエッセイ

656号 日本型英語教育の将来

2011年11月12日(土)

 今月初めの新聞に(読売「風の座標」15面 2011.10.2 中津幸久編集委員)、小学校の英語教育としての「外国語活動」について、いくつかの積極方向の意見がのっていた。結論的なこととしては、学習の目標をはっきりさせる必要性、教員の質の向上やその負担を減らす努力を強調している。その中で、同時通訳で有名な鳥飼玖美子さん(立教大学特任教授)の主張をとりあげており、「国際共通語としての英語」―すなわち英米語のまねはやめ、簡潔な文法やたとい不正確でも通じる発言を備えた英語を習得しよう―を参考にすべきとしている。
 この点については、教授から直接に意見をうかがう機会が必要と考えているが、英語教育論として基本においてもっともな意見だと思う。また同時に、決して今までの教え方をいい加減に変更するだけでよしと云うことではないとも思うのである。以下にそのことを述べてみたい。
 一つは、授業のやり方を、実際に使われている英語の現実(とくに日常的な話し言葉や会話)にあわせることであり、いまの英文法の教育システムを作り直すことであろうと思う。つまり文法のための文法といった、形式にはまった古い文法教育にしないことであろう。
 二つ目は音声教育についてであるが、日本語的な英語音声で十分と考えるのはやはり駄目なのであって、英米語的な音声にこだわり過ぎないことがおそらくポイントであろう。日本語と英語の音声のちがいを意識しながら、そこに新しい聴き取りや話し方の導入が是非ともいるように思う。
 学校文法に偏したこれまでの教育の問題点について―専門的には既におそらく議論が進んでおり、それを期待もしているのであるが―具体的に思うままいくつか記してみたい。

(1) 日本語においては言葉の性質から「・・・の、・・・で、・・・に」というような単語相互間の粘着関係を示す助語が多用される。そのことから英語を書いたり話したりするとき、日本人はof、by、toなどの前置詞を使いがちになる。しかし、日常の会話英語でこの種の前置詞が使われる頻度は決して高くない。日本語と英語の双方の語が共通に意味する重複圏域が意外と狭いのである。むしろそれに対応する語としては、for、with、aboutなどが多く用いられている。

(2) 学校文法で「進行形」は割合早い段階で学習する。「今まさに何々しているところだ」の意味を表すものと教えられ、それはむずかしい文法では決してない。しかしそういう単純な文法理解を生徒の頭に先入させてしまうと、日本語の中には進行形に直接対応するような文法構造はないので、英語の会話で進行形は使いこなせない。またほとんど使うことに考えが及ばない。さらに進行形は日常英語では沢山使われており、be~ingは素早く発音されるので他の語と聞きまちがうことが多いのである。このことは、can、haveなど助動詞の問題にも共通するのである。

(3) 疑問文における主語と述語の倒置について。文法上は語を入れ替えれば、平叙文が疑問文に変わるのだという説明である。その種の練習を繰り返し授業で行う。また少し高いレベルの文法においては、強調の倒置文という課程があって、so do Iのように強調するために、文を逆転させ倒置するのだという説明になる。
 このことはさらに文法上の「感嘆文」の語順の問題の説明にも関係してくるし、初等文法に出てくる There is a book の語順についても意味づけがいるように思う。また主語・述語を普通の語順にして、文末のイントネーションを揚げるとそのまま疑問の意味をあらわす。
 こうした語の配列変更の問題が、英語を話す人たちの心理状態の何かに必ず係わっている筈であり、教室でも合理的な説明がいるのではないかと思う。しかし文法学習では表面的にそういうものだという説明しかなされないので、つまらない文法記憶の問題に終わる。また、そのことによって日本語(国語)と関連した言語の勉強にもつながらないのである。

(4) 不定詞・分詞(現在分詞、過去分詞)・動名詞などは、現在はどうか知らないが、昔の学校英語では対比しながら品詞としての双方の使い方・類似点・相違点などを学習した憶えがある。名詞用法、形容用法、また副詞的なものがあるが、その使われ方の本当の意味が授業では飛ばされている。

(5) 能動態と受動態も、主語を目的語と入れ替えて、動詞をbe+過去分詞+byと直すというように学ぶ。両者(態)は単なる言い方の違いにすぎず、同じことを表現していると機械的に理解し、しかもbyがぬけると間違った答えの扱いになる。しかし、どういう場合に受身が使われる(使おうとする)のかについて教えなければ、能動・受動の理解は裏表の関係という表面的なものに終る。それを防ぐには受身の意味についても(この用語にも問題があるが)実際の適切な用例が示された授業が必要となる。

(6) また英語には敬語がなく、先生も生徒も対等Iでありyouである、などといった教育にはぜひとも再考がいる。
 最近の教室では、先生は英語による授業の努力をされている。教室においては、あることを命じ、答えさせ、会話のやりとりをすることになる。その場合に、1つの伝達内容であっても、幾つものニュアンスや形式があり、状況に応じ使えるトレーニングをしなければ、会話の聞きとりや発表は、いちじるしく実用的な水準が下がってしまう。

 この問題に限ったことではないが、教室での英語の使用は、時間あたりの密度をもっと濃くし、用例も最大限の注意をもって実際的な教材を用意すべきであろう。
 そして、先生が心配なあまり新しいことは生徒にとって難しすぎるとか、時間がますます足りなくなるとか、あるいは今の教育で問題がないとか思っていると、いつになっても子供たちは英語が話せないで卒業することになる。 

(2011.10.29記)