西川一誠後援会サイト

イッセイエッセイ詳細

イッセイエッセイ

642号 英語の教材と文法など

2011年09月28日(水)

 小説のヒロイン、one of the world’s most be loved characterである赤毛のアン、彼女が11才の頃に小説の中で相手と互いに使っている英語の会話例を小説の冒頭部と後半の章(この頃は15才に成長している)から、ごく一、二例を以下のとおり示す(下線は文法事項、点下線は用語)。
複文
・”I suppose you are Mr.Matthew Cuthbert of Green Gables?”she said in a peculiarly clear, sweet
  voice. “I am very glad to see you…” 11才(第2章20-13③P)
完了、助動詞、命令文
・”I’m sorry I was late” he said shyly. “Come along. The horse is over in the yard. Give me your bag.”
  “Oh, I can carry it.” the child responded cheerfully. “It isn’t heavy. I’ve got all my worldly goods in
  it,but it isn’t heavy.…” 11才(同21-14①P)
過去、仮定法、複合文、不定詞、附加疑問
・”And people laugh at me because I use big words. But if you have big ideas you have  to use big 
  words to express them, haven’t you?”
 ”Well now, that seems reasonable,” said Matthew. 11才(同26-17①P)
構文、熟語
・…‘There’s so much to learn and do and think that there isn’t lime for big words. Besides, Miss
  Stacy says the short ones are much stronger and better. She makes us write all our essays as
  simple as possible….’ 15才(第31章364-245③P)

 ここでわかることは、われわれが中学校3年間で習った程度の文法がほとんど出ているということである。小説の上ではあるが、主人公は現代でいえば小学校5年生くらいから中学2年くらいまでの年令(時代はちがうが)、そしてこの年令で使われるような言葉が小説に書かれているという理解になるだろう。三百頁近い小説の文章量のかなりの部分は、おしゃべりな少女アンを中心とした会話であり、そのほかに彼女の感情を客観的に作者が叙述した部分がほとんどであるから、想像力だけで生きているような少女の言葉の集合体がこの小説であるといってもよい。
 この中には教室で教えてよいような文例も含まれている。またその文例は使い方によって、教育的にも文学的にも生徒に意味のある内容であろう。
 ここでもう一つ考えるべき次のようなことがある。
 中学校の英語教育課程の一定段階で、早目に文法の仕組みの全体像を示すべきだということである。そうすることにより、英語をむずかしく感じなくなり、また英語の歌や小説、映画などに出くわした場合、十分よくわからなくても親しむことが可能となるであろう。一方で、英語の教育の実際は、一つひとつ山を登るように文法や単語数を豊富にしなければならないことも現実である。この双方の課題解決のためにも、登り始めであっても頂上から下界を見下せるように、英語の全体構造を子供に示して授業を進めることが重要ではないかと考える。実際の日常英語はこの小説の子供たちが話すような易しいものであっても、文法としてとらえると意外にむずかしいレベルのものが使われているという結論になる。しかし、むしろ文法がむずかしいと考えるのは日本人的な発想であって、子供が話している言葉の構成を講学上は文法と呼ばれるにしても、結局それは言葉の順序のパターンにすぎず、文法自体が決してむずかしい訳のものではないと理解すべきである。
                   (ANNE OF GREEN GABLES by LUCY MAUD MontGomery 1908年.
                        official 100th Anniversary Edition,G.P.Putnam’s Sons 2008年)

 本稿の内容とは直接関係ないが、かつて見たアニメや読んだ邦訳、そして今回一応読んでみた原書から感じることは、表面的な楽観主義、希望主義をそのまま楽しむわけにはいかない小説であるということだ。漱石の「坊ちゃん」や大佛次郎の鞍馬天狗の「杉作少年」とはわけがちがい、カナダの特定の土地に密着した形のヒロインの成長物語、成功物語になっているので、ノンフィクションに近いものとして受けとめようとしてしまう。だからどうしても、作者モンゴメリー彼女の生涯が一体どんなであったかを知りたくなり、調べなくてはという気持ちになるのである。
 そこで「赤毛のアン」の新訳を手がけた松本侑子の「赤毛のアンの翻訳物語」(鈴木康之との共著 集英社1998年)を見ると、この本はむしろ本題の英語教育に関係する方面の勉強になった。インターネットなどICTツールを使っての翻訳、またさまざまな出典・資料の蒐集を世界くまなく調査するためのマニュアル本として参考になるであろう。さらに原作者モンゴメリーの評伝を兼ねた女性論、フェミニズム論のような著書である「赤毛のアンの秘密」(小倉千加子著 岩波書店 2004年)も早読みしてみた。これは他の関連本と合わせて読んでみないとモンゴメリーの納得できる全体像がつかめないような気がした。

 

(2011.9.23記)