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イッセイエッセイ

635号 ジョンソン博士の小説(アビシニア王子ラセラスの物語)

2011年09月12日(月)

 ボズウェルの伝記で有名なサミュエル・ジョンソン(1709-1784)の「幸福の探求」(1759年)は、この文壇の大御所の博士が生涯に書いた唯一の小説だそうだ。しかし読んでみたところ、小説の形式を借りてはいるが、中味は人生論、幸福論あるいは我が解釈の都合でいえば「希望学」の本である。邦訳の題名は物語となっているが原題はHistoryとなっている。(朱牟田夏雄訳 岩波文庫)
 登場人物はエチオピアの王子ラセラス、学者の臣イムラック、妹王女のネカヤア姫、その侍女ぺクアー、その他天文家、老賢人、砂漠の盗賊など。兄妹の王子・王女が桃源郷の閉じられた王宮「幸い谷」から脱出して、広い未知の世界へとエジプトなどを遍歴しながら、さまざまの苦難、体験をしながら互いの人生観を述べ合う設定である。以下ストーリーは省略し、希望に関する部分を抜く。
 「山のかなたはすべて災厄のはこびる所、不和の逆巻く所、人が人を餌食にする所。」(13頁)
 「神の公平さは、特殊の楽しみには特殊の苦しみを添えてバランスを保ち給うのだ。」(16頁)
 「この男の説教も新しい間だけは面白かったが、いったん忘れでもせぬ限り再び新しくはなり得ない。」(17頁)
 「私は浮世の苦労とやらが見たくなった。それを見て来ることが幸福に必要と言うのならば。」(19頁)
 かく彼の心に初めてさし込む希望の光に、王子の頬は再び若さに燃え、両眼の輝きもいや増した。王子は何事かをなさむとする欲望に燃えた。(21頁)
 「若い者は自分に悪い気がないから、人も悪いことはしないものと信じ、したがってあけっ放しの素直さで行動します。」(108頁)
 「一人の叡智や徳行は滅多に多数を幸福にし得ませんが、一人の愚行醜行は往々にして多数の者を不幸にすることがあるのです。」(110頁)
 「ただ善人に与えられるのは、良心に省みて恥ずることなしという気易さと、いつかは幸福になれようという落ち着いた見通しだけです。」(115頁)
 「人の希望をそそり立てるような条件というものは色々あって、それが一つに近づけば一つからは遠ざかるように出来ているのです。」(126頁)
 「私は、人に勇気を教えることはできないけれども、人から臆病を学ぶわけにはいかない。」(136頁)
 「残る一つの善のみが、相手なしに楽しめる唯一の慰めだが、それは隠遁の身でも行えるではないか。」(150頁)
 「どんな人でも時には根もない考え方が暴威を揮い、正気の時の可能性の限度を越えた希望や恐怖を抱くことがあるものです。」(第44章 「想像力のみ蔓延るは危険なり」 186頁)
 お気に入りの(侍女)ぺクアーが言った「私はもう二度と自分がアビシニアの女王になったところを想像したりはしません。山の頂に植林してみたり・・・、如何にも王者に相応しい慈善を施して喜んでみたり・・・その揚句に王女様が入って来られても、頭を下げることを危うく忘れたこともあったのです。」(188頁)
 王子が言った、「いやいや、私も白状するが、私の耽った空想の喜びは、おまえたちの空想よりもずっと物騒なものだった。私は完全無欠な政治というものの可能性を空想裡に描いてみようと何度も骨打ったことがある。すべての不正は禁じられ、すべての悪は改革され、全人民が静穏潔白の生活を続けるというような政治をだ。こういう考えから無数の改革計画が生まれ、有効な統制や有益な布告が沢山発せられた。私は孤独な時、こんなことを考えて慰みとなし、時には慰みの程度を越して、仕事もしたものだ。
 一度はそのため平気で父や兄たちの死を想像したことを考えると、私はゾッとする」。(189頁)
 思うに任せぬことのみ多くて内心の腹立ちと戦わねばならぬのは若い者だけかどうか、人生の晩年には、何かすぐれた希望が残っているものかどうか解るかもしれない。
 賢人は溜息とともに言う、「・・・利害をおのれ一身以上に推し及ぼすことのできない身には、何一つ重大な意味のあることはないのです。・・・私のような老衰期に向っている者は、人が悪意を持つからとて恐れる必要がなければ、愛情や尊敬を示すからとて希望を持つことは一層ありません・・・善を行う機会を何度も逃したこと、多くの時をつまらぬことに浪費してしまったこと・・・手をつけて未完成のものも少なくありません・・・けれども幸いに心の重荷になるような重罪も犯していないから、心を落ちつけて静穏に暮らしたいと思います。・・・希望や心配は理性で考えれば空なものと解っていながら、未だに昔のままに私の気持ちを捕えて離すまいとするのですが、そんなものも早く超越したいと努めています。(192頁)
(天文家)は言った、「・・・私は人生通常の慰楽をことごとく代償として知識を買い取りました。私はやさしく胸を掻きたてるような女性との交わりも、家庭愛の幸福な団欒も我慢してきました。もし私が、他の学者の及ばない何かの特権を得たとても、それは恐怖、不安、翼々たる小心が付き纏っているのです・・・」(200頁)
 イムラックが答えた、「・・・空想と良心とがかわるがわるに我々に働きかけてくる・・・一方からくる幻と他方からの命令とが区別がつかなくなります・・・そして絶えずはっきり頭に置いて頂きたいのは、自分は何億という全人類中の一原子にすぎない、自分一人だけが選びだされて度外れた恩恵或は拷問の受けるような、そんな善いところも悪いところも持っていないのだ、という考え方です」(203頁)

 ジョンソン博士の生きた時代は産業革命、アダム・スミスと同時代の18世紀中期である。しかし本書からうかがえる世界観は幸福や希望についての価値相対主義、人間の営みに対するやや諦念のまじった個人主義である。

 

(2011夏、9.4記)