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イッセイエッセイ

634号 外国語教育について

2011年09月11日(日)

 

 これだけ英語教育のすぐれた教材が、しかも無料で負担なく、NHKの語学番組などによって利用できる時代に、子供たちの英語能力(聴き取り、話し方)が以前よりもさして進歩していないと感じるのは、教育上のミステリーのひとつと言わざるをえない。
 それには様々な原因があり、解決のための対策もあるはずである。そこには極端な主張、たとえば幼いときから外国語になじませるべきだ、教室では限界があり外国で生活させるべきだ、といった根本論から、ありとあらゆる空論・虚論、玄人論・素人論、こまかい学習論・技術論まで実にいろいろとある。
 しかし子供のためになるような効果的な対策を考える場合には、より常識論に立ち返る必要がある。
 外国語(英語)教育の現場そのもの、つまり英語の授業に何が足りないのかを普段に見直して、1つひとつ着実に改善することが大事だろう。他の手法をどの程度活用するかはともかく、この種の着実なやり方が子供たちの英語能力を開発でき弊害も少ない最も失敗のない近道と考えられる。
 目で読むと極めて易しい英語でも、子供たちの耳には(大人だって同様)聴き分けられないことが多いはずだ。英語は文字と音声の乖離が大きく、しかも実際の音声が脱落、連続をする性格の言語である。この問題をどうしても解決しないと、英語を聞こうとする生徒の意欲を失わせてしまう。一体どんな単語や熟語、センテンスが聴き分けられないのか、これらを身近に使う文章に整理して注意してまとめ、徹底して教えることが第一に必要である。聴き分けられない箇所を、子供たちが何故そうなのかを意識できて理解できれば、だんだん自信もでき英語の能力はより高いステップに順々に移行するはずである。
 次に子供たちが積極的に英語を話せるようになるためには、話すためのモチベーションがいる。この問題については他人に対し、話したい話題をまず持たなければ駄目だという意味で主張されることが多い(高校生や成人の英語教育の場合にこの点がよく言われる)。
 しかし、この原理的な考え方にはやや注意がいる。空っぽの容器からは水を注ぐことはできない。勉強した一定量の情報が子供たちの体の中に蓄積されなければ、子供たちの話す意欲は出てこないであろう。英語の情報が内に沢山たまり溢れ出ようとするとき、はじめて本格的に話すという欲求と行動が始まる。これが話すためのモチベーションの本意であるだろう。
 そうした改善を出来るだけ早く可能とするには、具体的にどこから手をつけるか。
 教室の中において先生と子供たちが最もよく使うダイアローグ、つまり先生と子供とのやりとりの会話、日常的な生活を表現する言葉、自分たちの気持ちを伝える言い方など、最適の表現例を多く用意して、教師がこれを教室で用いることにまず熟達することが前提であろう。その際、先生が主導しながらのALTの積極的活用が重要だ。せっかく日本に来てくれた彼らもその意欲と用意があるはずだ。
 数日前、県内の高等学校の校長研修の意見交換の場で、英語教育のことが話題になった。子息が外国で勉強中とのことだが、話すことに苦労をしておられるようだ。日本人は同輩の中国人や韓国人に比べて学習能力に差があるとも見えないのに、上達がはかばかしくない。こうした事態はどうして起るのだろうという疑問である。留学するまでに既に差があるのではないか、彼の国では早期教育がなされているのではないか、国民性の違いもあるのではないか、等その時にさまざまな話題へと話しが広がった。
 今日の日経新聞に伊藤忠商事元会長の室伏稔さんの「私の履歴書」の第三回目、旧制沼津中学1年生の頃の回想が載っている。昭和19年にはもう世間では敵性語である英語授業を自主的に中止する中学校が少なくなかったらしい。しかし同校では「終戦まで英語教育を続けていたと記憶している。中学生に外国語教育は不可欠という先生方の信念だったのだろう。それが私の英語力の基礎となり、商社に入ってから、人生を切り開く大きな力になったことを考えれば、教育は長期的な視野と信念が不可欠といわざるを得ない」と述べている。教育上、参考にすべき先輩の経験であると思う。

(’11.9.3記)

 この履歴書の第七回目では、「私は沼津東高時代にラジオの英会話講座を熱心に聞き、地元の教会の外国人牧師さんたちとの英会話の経験があり、英会話にはあまり困らないレベルには達していた」と述べている。

                    (’11.9.7追記)