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イッセイエッセイ

631号 大昔の人たちの感覚

2011年08月25日(木)

 まず方向感覚。歴史上にみる人々の地理感覚は客観的ではない。三国志時代の中国大陸の魏国は、敵対する呉国の東方海上に邪馬台国が存在すると考え、重要な戦略的国と意識した。「倭人伝」に記述する邪馬台国への行程表がその方向感覚を示す(一章2)。
 次に名前の感覚。天皇は始めから氏姓がなかったのではない。氏姓制が形成されていない五世紀には倭国王だけが姓を名乗った。その後、国内の豪族に氏姓を賜与することにより、国王自らは氏の姓も保有しなくなった(五章2)。
 さらに自然神や仏像への感覚。巨大な前方後円墳の築造が終焉を迎えるのは、仏教の伝来により、古墳建造から寺院を建設する情熱に時代の流れが変ってゆく(五章3)。
 そして時間の感覚。古事記の記述は推古天皇で幕を閉じている。後代の奈良人にとって、今を生きる彼らの「近代」と対比される「古代」とは、推古朝までであった。推古朝を古い時代の終りすなわち「いにしえ」の終りと意識した。推古朝から冠位十二階、十七条憲法や仏教興隆策など王法・仏法政策が開始する(はじめに。5章4。おわりに。)現代の我々からみて古代は1つにしか見えないが、そこには時間意識の層がある。
 本書では継体天皇(507年即位)について「継体天皇を擁立したのは、父母の出身地である近江ないし、越(越前)地域を政権基盤にもつ勢力であったと思われる」(4章1)と、また「父の本拠地は近江の高島(滋賀県高島市)であり、母の出身地は三国の坂中(さかない)井(福井県坂井市)と思われる」(同)と解説する。
 本書で古代の産業史ないし技術史の記述がもう少し加味されていると、継体朝の実像に奥行きが出るのではないかと感じた。
 あと一つ疑問は、古代ヤマト王権の時代において朝鮮半島南部の諸国・地域の方が、いつも倭国側に対して朝貢しておりその逆ではなかったことの背景がよく分からない。
 (「ヤマト王権」シリーズ日本古代史② 吉村武彦著 岩波新書 2010年)

 

(’11.8.23記)