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イッセイエッセイ

629号 「8.15」を知っている作家たちの「3.11」

2011年08月19日(金)

 3月11日からまもなく5ケ月を経過する。66年前の敗戦を体験している世代の代表作家・詩人たちが語る「8.15からの眼差し-震災5ヶ月-」から、その雑駁なる要約である(日経新聞 文化欄 2011.8.3―8.6)。
 諸氏の感想の共通点は、戦後と比較しての今度の震災・事故の厳しさ、暗さ、見通しの難しさである。これは日本人の世代と社会が戦後から二世代近く老いたこと、また今回の災害が、軍部や外国勢力や強圧政治など他のせいではなくて、自分たちが選んできた60余年の積み重ねの結末として起ったことに起因すると考えるからであろう。それ故に結論としては、いずれも自分たち一人ひとりの問題として現実と立ち向うべきことを述べている。

 「親鸞」の五木寛之(78歳)
 ものの考え方が、3月11日以前と以後とではがらっと変わった。「第二の敗戦」と受けとめている。8月15日の敗戦は「国破れて山河あり」であったが、今回は「山河破れて国あり」あるいは国もなし。
 原発安全を強調する政府の発表には驚かなかった。それは国民のパニックを恐れる国家としての一つの政策であり、引揚体験の中でも痛感している。
 原発推進、反対を問わず、私たちはこれからも放射能と共存して生きていかざるを得ない。たとえ全部の原発を廃止しても、使用済核燃料を他国に押し付けるわけにはいかない。
 政府の情報や数値や統計ではなく、自分の動物的な感覚を信じるしかない。未来への希望が語れないとすれば、きょう一日、きょう一日と生きてゆくしかないという実感。第一の敗戦のときは明日が見えたが今は明日が見えない。だから今この瞬間を大切に生きる。国は私たちを最後まで守ってはくれない。

 「共同幻想論」の吉本隆明(86歳 東工大電気化学科卒)
 戦中と比べると暗くて元気がない。しかし、この震災を発想転換のまたとない機会ととらえれば希望はある。
 規模の拡大だけを追及せず、労働力・技術力をうまく組織化し、疲れず能率よく働く日本のシステムをつくる。それには大企業が技術力のある中小企業をしっかり取り込んで生かす知恵がいる。
 原発をやめるという選択は考えられない。発達してしまった科学を後戻りさせるという選択はあり得ない、人類をやめろというのと同じである。科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない。今回の事故のような、国民に危険性を十分知らせない、安全面の不注意があるというのは論外である。
 世の中の全体状況が暗くても、 それと自分とを分けて考えることも必要である。公の問題に押しつぶされず、身近なものを一番大切に生きること。

 「私の昭和史」の中村稔(84歳 文化功労者)
 戦後は、農地解放や財閥解体というドラマチックな改革と、そのための犠牲があった。今回の震災の危機を、誰も傷つかずに乗り越えることはできないだろう。今とちがって当時は、軍部の圧力が外れ翼賛政治とはちがう希望を抱くリーダーたちが数多くでて来た(吉田茂、芦田均、鳩山一郎、石橋湛山、浅沼稲次郎ら)。
 戦後に比べ特需も期待できず、追い越すべき米国モデルも今はない。なぜ日本がこんな状態なのに円高状況が続くのか。
 小さくても最高のものづくりをする中小企業の技術力が財産だ。成長よりも成熟。日本製品の信頼性の高さ、日本人が言うことへの信用、他国からの評価が何より大切。
 庶民としては、それぞれの生き方を見つめ直すしかなく、来し方行く末を真剣に考えることだ。

 「火垂の墓」の野坂昭如(80歳)
 地震は昨日までの当り前を断絶し、日常は非日常となった。生きものの無力さ、諦観、虚無感。国の態度は踏み出しかけた被災者の足を引っ張っている。国難には違いないが、大震災と空襲の風景は異なる。焼跡は晴れやか、てきぱき、あっけらかんと明るい印象。この度は、先が見えず立ち尽くすしかない。善意も集まったが関心も移り、他人事の日常に光と影の甚だしい差。焼跡のスタートはゼロからそして高度成長。この度はゼロに戻すことから始めなければならない。経済は疲弊、放射能汚染の収束みえず。
 「被災地だけじゃない。社会もまた紙一重で明日は焼跡じゃないか」、「すべて砂上の楼閣。だが今の暮らし電気がなければお手上げ。原子力推進派のいう電力不足は脅しの一種だが、仮に三日も停電すれば日本はガタガタ。この電力システムはお上主導のもと進められたとはいえ、世間もまた便利が一番と受け入れてきた」、「食べ物は外国任せ。つまり他国の胸三寸で日本は生かされも殺されもする」、「平和を唱えていれば生きていける。その平和な国で自殺者は増え、食いものは危なっかしい。空気は汚染され文化伝統は薄れるばかり。豊かさと引き換えに失ったものは大きい。この度の大震災は国難に違いない。今こそ日本人一人ひとりが立ち止まり、考えるときである。」

 このシリーズを編集したとみられる同紙の宮川匡司編集委員は、戦中戦後を生きてきた作家・詩人たちの憂慮が、時代閉塞の果てに起きた大震災への不安や暗さという共通点をもつと指摘し、政治・経済・科学技術の方策だけでなく、人々が心を寄せる「時代の歌」、文化・芸術の力が今ほど問われる時代はないと結ぶ。

 

(’11.8.6記)