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イッセイエッセイ

628号 ゴーヤの葉陰

2011年08月18日(木)

 賤ヶ岳のインターで一休みをするため売店の建物に近づくと、緑のカーテンとして最近もてはやされているゴーヤらしきものが、屋根近くまで元気に伸びている。例の高速道路の工事用の目立った服装をした二人の若い男が、何やら作業をしている。よく見ると2mほどの長い棹バサミでもって、ゴーヤの先端のツルを切っているところであった。
 柵のプランターは五、六箱並んでいて、バーク材のつまった苗木には二本ずつゴーヤがきっちりと植えこまれ、根っこから軒先まで実に手入れのよい日除け棚になっている。しかし、じっと見るのだが何故かゴーヤが一つもぶら下がっていない。
 そこで興味をおこして作業の二人に「ゴーヤの実が一つもなっていないね」と声をかけると、笑みをうかべて「きのうイッキに全部取ったんですよ」という答え。「道理で」、「はっはは」という会話の結末となった。それまでにゴーヤが取られていれば、なるほど一個も見つからないはずである。レストランのホットミルクに卓上のあったかい牛乳のような薄い膜が張っていないのと同じ道理である。

 わが住まいの、本を読んだりする部屋の窓辺にも、はじめて今年ゴーヤとヘチマを植えたのだが、伸びるまでには日数がずいぶんとかかったように感じた。でも窓の下に伸び上がってくる苗の先端が見えはじめると、どんどん成長してきた。
 今日は立秋の朝であるが、窓から眺める外の景色が隠れるほどに蔓や五ツ手の葉が拡がり、涼感をこえて室内を暗くしてしまい、すがすがしい午前中も電気をつけないと本が読めない位である。ゴーヤもヘチマも、人間を涼しくさせるために茎を伸ばし葉を広げている訳ではないので、植物の原理にしたがい自分の都合にあわせて一日を行動する。すべてを人間の言いなりにはしてくれない。太陽が南中して西へ回りはじめる午後になると、せっかくの葉陰も身を守るためぐんなりして来て、この西側の窓が一番日光をさえぎって欲しい時刻になると期待した務めを放棄してしまう。ゴーヤもヘチマも一緒になってだらしなくしおれた姿になって数時間をしのぐ。そのために部屋には日光が強くさし込んできて、期待効果は半分近くに下がってしまうのである。そのうえ、皮肉なことに、日が弱くなりしのぎやすい夕方になる頃、また元気を出して、部屋の中を朝より一層暗くしてくれるのである。 

(’11.8.7記)