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イッセイエッセイ

626号 維新の夢(渡辺京二コレクションⅠ 史論 2011年 ちくま学芸文庫)

2011年08月06日(土)

 名著といわれる「逝きし世の面影」の著者、海辺京二氏の作品コレクションが最近文庫本で出版された。さまざまな斬新な史観が展開されているが、その中に次のような見解が述べられている。
 西郷隆盛については、極端に対立し矛盾する評価が存在する。
 西郷には謀略の才はなく、むしろそうした嗜好そのものを持たなかった。軍事指導でも無知無能であった。政治的な見識や展望も自身から出たものは皆無に等しかったが、当時の賢者から教えられ、それを誠心実行に移そうとした。
 つまり維新回天の立役者である西郷は偉大なる「ハリボテ」であった。だが西郷には「人格の力」があり、それは度量の広さとか衆心をひきつける力とか、徳性といった性質のものではなかった。むしろそれは、国家の進路、革命の進路をつねに一つの理想によって照らし出そうとする情熱であり、誠心であった。革命はそうした力によってのみ「エトス」を獲得することができる。エトスなき革命ができない以上、西郷を中心にすえなければ維新の大事業は進まず、西郷はそれ故に衆目の認める最高の指導者であった。
 要約は的確にはできないが、著者は概略このようなことを主張している。従って司馬遼太郎の歴史小説的な解釈とは大いにことなる見解である。(著書の「死者の国からの革命家」から 1982年)。

 また当時の日本の現状をみると、近代的な西洋モデルの制度や価値を、極端な急激さで導入しなければならない必然性はなかったと見る。幕末、徳川幕府のシステムは根本的な改革を必要とする時期には向っていたものの、しかし幕末社会の内部は必ずしも緊迫した情況を呈してはいなかった。したがって、明治維新とは日本が近代世界システムに編入されたがために、どうしても採らざるを得なかった緊急避難的な対応であったということになる。
 列強の開国要求に対し、日本の二重権力的な構造のままでは統一した外交が不可能であった(徳川幕府と地方権力、幕府と朝廷の対立、という二重性)。明治維新の原因は、幕府社会の内部矛盾説によるべきではなく、ウェスタン・インパクト(西洋列強の圧力)が主たる原因である。しかし、これを又わざわざ外因論として区別して論ずる必要はない。説明としては、この事実を歴史的事実として考えれば十分である。
 明治維新の本来の目的ではなく随伴したにすぎない文化革命の要素(法、教育、文化、風俗、思想)について、後人の眼には維新の変革がそのために起された大目的のように錯覚されるのは、歴史的皮肉だと述べる。
 これも一般的な学説とは趣を異にする。
(以上は「カオスとしての維新」から 2003年)。 

(’11.7.23記)