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イッセイエッセイ

614号 少読精読は本を読む所以(浜口雄幸「随感録」から)

2011年06月24日(金)

 「書を読まざるの説」において、当年61歳のライオン宰相は一老書生として述べる。昭和5年11月に東京駅にて襲撃された。「随感録」は療養中の著作である。9ケ月余後の翌6年8月回復かなわず他界。
 当世流行の登山、テニス、ゴルフ等の運動を一切せず、趣味、道楽もないので、世間では読書をしていると思っているかもしれないが、そうではない。ただ誰よりも読書の分量を少なくしている。自分の流儀は精読主義だからである。
 物識りになろうとする人なら別であるが、実務家たらんとする人にとって、実社会の複雑な事象に適切な選択を加えるには、「確乎たる判断力を養成して置くことが社会人、実際家として一番大切である。」
 判断力の養成には、頭脳の「論理化」(ロジカル・ヘッドをつくる)が必要であり、そのためには少数の書籍を精読消化するに限る。
 「余の流儀は多読濫読を排して、精選したる書物を成るべく少なく読むが宜しいと云う流儀であったからである。」
 「多読濫読よりは、斯道の権威者の力作一又は二を徹頭徹尾精読数回に渉って十分に之を頭脳に消化するに如かずと思う」
 「無名の著者のは絶対に駄目なるのみならず、二流三流の著者のも読むのは宜しくない。益がないのみならず、却って自分の脳髄を混雑せしむるの害があるばかりである。」
 「一度此の基礎が得られたという自信が出来たならば、それから後の群書渉猟は参考として寧ろ多々益々弁ずと云うても宜しかろう」
 「今一つ言うべきことがある。書を読め、而して思索せよ。書を読んで思索せずんば散漫に陥り易く、思索して書を読まずんば空想に陥り易い」

 

(’11.6.19記)