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613号 国民精神の弛緩(浜口雄幸「随感力」から)

2011年06月24日(金)

 浜口雄幸は「随感録」の中の第八項「敵は本能寺にあり」で以下のように、昭和初期当時の国民精神の問題点を述べる。現代の我々も心すべし。
 「現下に於ける経済界・思想界の難局は、其の原因果して何れに在りと思うか。余は言下に答えて言わん。そは世界大戦後、我が国が僥倖に獲たる好景気に陶酔したる国民精神の弛緩であると。其の精神の弛緩に乗じて今日の思想問題も起ったのである。
 余は常に思う。我が国民は、打物取っての戦争には非常に強いが、牙籌(がちゅう)を執っての平和の戦には驚くほど弱い国民である。特に忍耐心が欠乏して居って忽ちにしびれをきらす。功を収むるに急して、其の功を収むる原因たる努力、勤勉を厭う。其の上(やや)もすれば自己の力を軽蔑して他力本願に走り、第一の波に遇えば自ら奮って之に対応せんことを努むるも、第二の波に遇えば直ちに悲鳴を挙げて政府の力に(すが)り、それが意の如くならざれば又直ちに政府に対して怨嗟の声を放つ。自己の無気力を棚に上げて、政府の無能無策を攻撃して得たりとなす。臍下(せいか)に力なく、丹田(たんでん)は空虚なり。」
 「心のゆるみ」ほどの強敵は、個人にとっても国家にとっても有るものではない。近頃(第一次大戦直後のこと)は時代の推移に依って国民の精神即ち「心」にゆるみを生じたことは争うことのできない事実だと言うのである。 

(’11.6.19記)