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イッセイエッセイ

607号 奥行きを感じるとき

2011年06月03日(金)

 知らぬ町に来て駅前に立ち、そこで旅人の目で街の様子を眺めると、街に対する印象は全く平板そのものである。絵葉書か映画のセットを見ているのと同じような奥行きを感じない印象をもつ。
 しかし、その町にすこし長く滞在すると、町の広がりや奥行きなどの立体感を得ることになる。そして当初の街に対する第一印象が実に表面的で薄っぺらであったことに気づく。
 こうした感じ方は、街などの場所のほかに、それが特定の人物であったり、ある分野の学問であったりしても、ほぼ同様の経過を体験することになる。
 最近のことだが、ラジオの英語講座を一年ほど聴きつづけた結果、これまで意味のわからなかった音声が、徐々に奥行きを感じるようになって来た。重要な単語(名詞や動詞など)が前面に現われ、重要でない代名詞・前置詞などの機能語が後の方に退き、しかしどの言葉もそれなりに聴えるような感じ方になったのである。英語の学習も、聴けば聴くほど、話せば話すほど、解らない音の連続であったものが、音声として立体化し聴き分けることができるということかもしれない。もっともその分かる程度が問題ではあるが。

 

(’11.5.29)