西川一誠後援会サイト

イッセイエッセイ詳細

イッセイエッセイ

605号 高僧の敬と慎

2011年05月29日(日)

 

 紀元後の四世紀あたりでは、まだ宗教と魔術が原始的な姿で一緒になっていたところがあり、それがまた政治と結び付いていた時代でもある。
 中国では漢(前二世紀~後三世紀)の偉大な時代が終り、古典古代の終末をむかえた。ユーラシア大陸の東西も同じような歴史的な動きをしていた。時を同じくして北方の匈奴、ゲルマン民族が華北やローマ帝国領に侵入する時代である。仏教やキリスト教が人々の心を照らし広まってゆくと同時に、徐々に後退する異教崇拝と秘呪との世界とが混然としている。
 梁の慧皎(えこう)の撰著した「高僧伝」全十四巻は、中国仏教の最初期の450年間(後漢、魏晋南北朝)における、約五百人の高徳の僧の事績を集成したものである。業績の分類は「訳経」「義解」「神異」「習禅」「明律」「亡身」「誦経」「興福」「経師」「唱導」に分かれている。世界史上に名の出ている僧としては、仏図澄(ぶっとちょう 四世紀中期)、鳩摩羅什(くまらじゅう 四世紀後半)、法顕(ほっけん 五世紀前半)、前者は神異篇、後二者は訳経篇に収められている。
 いま手にしている高僧伝(三)(訳者 吉川忠夫、船山徹 岩波文庫 2010年)の「義解」(この分野の分量が最も多い)の中には、次のような仏教の基本にかかわる記述あり。

 経典に「義に依って語に依る莫れ」とあるのは、「言葉は真実なるものではないが、しかたなしにそれを述べるのだ」の意である(義解篇 論 286頁)。
 経典に「もし正法を樹立しようとするならば、国王や武器を手に握る者に親近することを許す」とある。これは政教が結び付いてもよい場合があることを教えている(同 292頁)。

 お坊さんたちの崇高な事績を次々と読み進めるとしたら、俗人にはまちがいなく単調感を覚えるであろう。しかしこうした中でも「神異篇」、つまり不思議な行状で知られた沙門(出家僧侶)の伝記は、小説的、史記風な痛快なところがあり、仏教と魔法そして政治とが一体となった列伝の面白さがある。
 そしてその代表的な物語が西域または天竺から来た人と言われた「仏図澄(ぶっとちょう)」の行状記である。

 「仏図澄」身長八尺、風姿温雅、深遠な経典を理解し、世俗の議論にも通ず。後趙(羯族 後319年―351年)の為政者、石勒と石虎を神秘の力で教化し、民衆を救済する。民衆はそのお蔭を蒙った。しかし日常的にその政治的、道徳的恩恵をたよりとしながらも気づかなかった。原文には、但だ百姓は益を蒙(こうむ)るも、日に用いて知らざる耳(のみ)、とある。
 神術の方法によって、驕り高ぶる覇者の高慢を押さえつけ、秘薬を塗った掌上に千里の先の事柄を現わして予言し、楊の枝を手に取り秘呪の力で人の命をよみがえらせた。鈴の音を聞き分けて将来の出来事を的中させ、龍神をして水源を満たした・・・・・・。
 「竺仏図澄者西域人也 本姓帛氏 少出家清真務学誦経数百万言善解・・・・・・志弘大法 善誦神呪能使役鬼物 以麻油雑燕脂塗掌千里外事皆徹見掌中如対面・・・・・・又聴鈴音以言事無不効験・・・・・・」

 以下、高僧仏図澄が弟子達や為政者に対して述べたいくつかの言葉と戒め。
 「至高の道理は深遠であるが、卑近な事柄でもって証拠とすることができる。」
 「政治がぼろぼろになり正道が消滅すると箒星が天上に出現する。・・・・・・天界と人事の関係に示される明らかな戒めなのだ」
 「先民につぎの言葉がある。敬と言うではないか、人目のないところでも節操を改めないことを。慎と言うではないか、たった一人でいてもだらけないことを。人目がなく、たった一人でいることこそ敬と慎の根本であることを、汝は知らないのか。」
 「心を放恣にさせてはならぬ。死者は生き返らせることはできぬ。」
 「罪を犯したものは殺せざるを得ないし、悪事を働いた者には刑罰を加えるのだ。もし暴挙のかぎりを尽し、罪を犯していないものを殺害すれば、いくら財力を傾けて仏法に仕えたところで、身の禍いを解くわけにはゆかぬ。」など。
 発塚(はっちょう)すなわち墓荒しは支那の特色である。岡本綺堂の「発塚異事」(「江戸の思い出」河出文庫)の中にもその種の物語がある。
 覇王石虎が造営した仏図澄の填丘を、後人が簒奪して棺を開いたところ、錫枝と鉢とが見つかるのみで、屍は見つからなかったと高僧伝には書かれている。

(’11.5月)