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603号 「大震に際せる感想」(芥川龍之介の天譴批判論)

2011年05月26日(木)

 大災害に対し、これを国民は天譴などと考えるか(今回の大震災でも類似の発言あり)、それとも自然の出来事としてうけとめ、悲しむことはあっても絶望することなく、事に当たるべきか。
 この種のことについて、関東大震災(大正12年9月1日)直後に、芥川龍之介は雑誌「改造」(大正12年10月号)に一文の感想を寄せている。以下に主張の主要部分をそのまま書き字した。自分の今の心境としては、これにコメントを加える気分にはないからである。万人に公平でない天災を天罰などと考えるのは、天罰を信じないことよりも劣ると芥川は論じているのである。なお文中の天譴(てんけん)とは、天のとがめ天罰の意味をあらわす古い言葉である。

 「この大震を天譴と思へとは澁澤子爵の云うところなり。
 誰か自ら省れば脚に疵なきものあらんや。脚に疵あるは天譴を蒙る所以、或は天譴を蒙れりと思ひ得る所以なるべし。
 されど我は妻子を殺し、彼は家すら焼かれざるを見れば、誰か又所謂天譴の不公平なるに驚かざらんや。不公平なる天譴を信ずるは、天譴を信ぜざるに若かざるべし。……
 自然は人間に冷淡なり。されど人間なるが故に、人間たる事實を輕蔑すべからず。人間たる尊嚴を抛棄すべからず。……
 人肉を食うて腹鼓然たらば、汝の父母妻子を始め、隣人をするに躊躇することなかれ。その後に尚餘力あらば、風景を愛し、藝術を愛し、萬般の學問を愛すべし。……
 僕の如きは兩脚の疵、殆ど兩脚を中斷せんとす。されど幸ひにこの大震を天譴なりと思ふ能はず。況んや天譴の不公平なるにも呪詛の聲を擧ぐる能はず。……已み難き遺憾を感ずるのみ。我等は皆歎くべし。歎きたりと雖も絶望すべからず。絶望は死と暗黑とへの門なり。
 同胞よ。面皮を厚くせよ。「カンニング」を見つけらりし中學生の如く、天譴なりなどと信ずること勿れ。……同胞よ。冷淡なる自然の前に、アダム以來の人間を樹立せよ。否定的精神の奴隷となること勿れ。……」

(’11.5.15、日曜日に記)