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583号 これからの外国語学習

2010年10月08日(金)

 哲学者() () (げん) 先生の「私の履歴書」は、まことに痛快なオーラル・ヒストリーともいうべきもので、戦前から戦後の国民史の勉強にもなる。海軍兵学校で終戦を迎えた筆者、その時両親は満州に残されたままであり帰郷する場所を失った。ところが兵学校の教官が自分の九州の田舎に母と妹がいるから、そこでしばらく暮らせと言って助けてくれる。
  今日の履歴書は第25回、1970年の話しになっており、岩波の元社長である大塚信一さんがまだ30歳くらいの編集者の時代の話しである。薦めに従って2冊目の著書を「現象学」(岩波新書)として出されたときのエピソードである。
  「大塚さん、気に入らないといった気配なので、それは捨て、別に考えていたもう少しうまい書き出しで序章をかいてみたのが・・・」というようなところは、何となくわかる。
  さかのぼって第19回は「原書の壁―独語独習 休まず3ヵ月」の話しは、外国語教育の参考になるのではないか。
  著者は旧制高校で学んでいなかったので、ドイツ語がよくわからなかった。そこで、(1)まず、なるべく薄い文法の教科書を買ってきて、基本的骨組みだけを一週間ほどで頭に入れた。(2)次に関口存男つぎお の分厚い文法書を毎日一課ずつ、毎日8時間くらいかけ、3ヵ月で終了した、という方法である。
  そして旧制高校からきた学生よりも読めるようになった。
  「その後も毎年4月1日から6月末までを語学月間として、2年目はギリシア語、3年目はラテン語、4年目はフランス語をやった」。
  「ヨーロッパには高校での古典(ギリシア・ラテン)語教育の長い伝統があり、完璧な教科書が作られている(私たちも英国の教科書を使った。)その教科書がみな80課編成である。一日一課ずつやれば80日で終るわけだ。ただしその間一日も休めない」
  「だが文法をやっただけではダメだ。そのあと、秋から冬にかけて、薄くてもいいから一冊読めば、仕上りである」
  昔だから、そして著者の能力だから、できたことかもしれぬが凄いパワーである。著者も言うように、
  「といっても、テレビもない、貧しくて酒も呑めない、そんな時代だからこそできたことなのかもしれない。考えようによっては、いい時代だったことになる」。この何回かあとの紙面に、著者はこれまで独語、仏語などそれぞれ数十冊の代表的翻訳をものにして出版したと書いてあった。
  現代の翻訳は、一般的にはグローバル化により容易になり、むしろ学者一人(あるいは仲間)でというよりも、ビジネス分業的にスピードをもって仕事が可能になっているのではないかと推測する。戦後60年余、先人の業績も蓄積しているから、外国語の著作物に関して今の人達は仕事が楽であろうと思われる。
  さて、木田先生の「私の履歴書」をもとに、現在のわれわれが実行すべき語学教育方法は、次のようなことではないかと考える。

(1)外国語の学習にあたっては、まず、その言語の全体の成り立ち仕組みを
   つかむことが効果的である。
(2)外国語教育法は時代に合わせて変えてゆくべきであり、現状に満足して
  いては進歩がない。いま実践していることに懐疑的になってはいけないが、
  改善の余地がいつでもどこにでも有ることを意識して実行する必要がある
  だろう。
(3)外国の書物を、正しい日本語として翻訳して理解し役に立てるという明治
  以来の学問の必要性は重要であり、ないがしろにはできない。しかし、
  これは昔に比べ簡単にできるようになっている。むしろこれからは、外国
  語を聞いたり話したりする訓練にウェイトをかけるべきである。この種の外
  国語学習は日常的なレベルのものであるから、限られたレベルの日本人
  ではなく、より沢山の人たちにとって可能な目標である。

(2010.9.26記)