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イッセイエッセイ

580号 漢文文化圏

2010年09月27日(月)

  近代国家の一国史観、一国文学史のために、東アジア共通言語としてのさまざまな漢文世界が忘れられている。19世紀以来の西洋文明の強い影響、また漢字は表意文字であるから、意味と字体は変わらないまま発音だけが歴史的にどんどん変化をする。たとえば、同じ杜甫の詩を読んでも、中国人、日本人、韓国人では印象や感興がずいぶん異なるはずである。東アジアの漢文文化は、読み方は時代、地域でほぼ一定している(いた)が、書き方は様々なレベルのものがあり、異なる文体が同時代、同地域に階層性をもって共存するという東アジア特有の現象が起った。漢文を規範的な漢文のみならず、多様な文体を全体として相互関係を明らかにしながら捉える必要がある(226頁以下)。

  「漢字訓読に用いられた漢字の略字表記が、自国語の書写表記の文字(仮名)にまで発展しなかった。そのため朝鮮ではハングルが作られなければならないことになる」(3章 漢文を書く 207頁)

  「明治にできた新しい文体は、日本語だけではなく、東アジアにも大きな影響をあたえている。現在、韓国でふつうに用いられる韓国語の文体、そして北朝鮮の文体も、日本統治期を経て、漢字語彙と表現の双方において、その多くを日本の文章に負っている。また現在の中国語の文体は、梁啓超、魯迅、周作人など、明治の文体に接した多くの知識人によって作られたものであり、随所にその影響が認められる」(同219頁)

  「現在の日本、韓国で、和歌、俳句、ハングルの時調(拙注 シジョ 日本の和歌に相当)を知る人は多いが、自国の詩人が作った漢詩を一首でも暗誦できる人は、きわめて少数であろう」(同220頁)

(金文京「漢文と東アジア」岩波新書 2010年8月)

(2010.9.12記)