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イッセイエッセイ

1328号 現場主義

2018年06月28日(木)

 現場主義は、時間的にも場所的にも現場にいることにしくはなし。しかし現場主義といっても、必ずしも現場に居合わせることを絶対条件にするものではない。現場に身を置くかのようにであっても良いのである。
 たとえば工場で火災が発生する。作業員が熱傷を負ったという情報が入ったとする。勿論、消防士たちの場合は現場の人々であり、現場そのものである。遅れることなく鎮火のため、救助のために出動するであろうし、直ちに患者を病院に搬送するであろう。
 (ここまで機中で灰色の「エチケット袋」にメモした。このとき着陸態勢となり、cabincrew,prepare for landing という放送が入り、というのはこの機長の早口の言葉を初めて英語で聞き分けることができたからである。あとが中断してしまった。以下は二週間ほどあとの付け足しである。)
 工場長もほとんど現場の人であろう。あいにく現場にいなければ迷うことなく現場に急行し指揮をするはずである。では自治体の防災本部長はどうであろうか。彼が現場に直行することは、必ずしも要求事項ではない。しかし治療を行う病院が適切かどうか、二次災害が生じないか等の想像力を現場主義的に発揮して、できるだけその場所にいるかのように指揮しなければならないだろう。
 現場主義は災害に限らず、さまざまな交渉事などにも要求される。相手との折衝作戦において、直接現場で話し合い方向をまとめようとしている人たちが責任者でないことが多い。その次の又その次のほとんど担当者のようなレベルが決めた大事な話を、その上司たちが報告を受け、此方の方と彼方の方で話し合ったとしてまるで自分たちがまとめたかのようにして、互いの責任者がそれぞれの最高責任者に報告していたとしたら、それは素晴らしい現場主義者たちである。まるで現場にいたかのようなだろう話しになる。こちらの方は想像力の問題では解消できず、対話力が問題となるからである。

(2018.6月2日 記)