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イッセイエッセイ

1324号 うるわし&ありがたし(風景について)

2018年06月27日(水)

 舞鶴若狭自動車道の敦賀から小浜あたりまでを行き帰りするとき、自然と生活が一体化したうるわしい里海湖の風景が随所に高みから見下せる。若狭さとうみハイウェイというこの高速道路の名前にふさわしい美しい景観を味わうことができるのだ。
 全国の景勝地に赴いたりしても、美しいをこえて惚れ惚れするような景色にはなかなか遭えない。良い景色であっても、地形の強さと人々の生活のたたずまいにバランスを欠いたり、適度な視点の高さや距離感において欠けるところがあるからであろう。
 さてこの美しい景観であっても馴れてくると、美しいとはあまり感じなくなり新鮮さがなくなってしまい、普通の風景に戻ってくる。時たま季節の変化、天候、時刻の微妙な調子に風景が反応して、美しさを再認識することはあるのだが。
 見知らぬ所へ旅をして、景色を楽しんだり美味い物を味わったりした時に感じる価値は、一体どこから来るのであろうか。
 「美しい」ものの原因をつきつめるなら、それはあるレベルの美しさのほかに「珍しい」という要素が加わった価値が力を発揮していることにあるのではと感じる。あちこちの観光地を巡ってほどほどに美しいと感じるのは、美しいこと以上に初めての珍しさにあるのであって、二度、三度と同じ所に行ったときには、パリであれロンドンであれ一つの大都市としか思わなくなるのはそのせいかと思われる。
 もしそうとしたら、美しさについては珍らしさの競争がまず存在して、その次に本当の美しさという深みの勝負があるということになる。

(2018.5月18日 記)