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イッセイエッセイ

1321号 数学教授法

2018年06月13日(水)

 高校数学で最初に出てくるのが因数分解である。これは一時的には面白いのだが、幾何学のように直観で解くものだとの誤解(今から見ると)が生じる。これは同時並行で幾何(図形)の学習が高校一年の一学期に進むことにも影響されているかもしれない。その結果、だんだん因数分解が曲芸的に計算が複雑になり分からなくなる。因数分解は数学を学ぶための文法の入口のような役割を演ずるように見えるため、数学の目的や問題を解くという意味が分からなくなる。
 因数分解という用語も本質において正しいのだろうが、生徒には誤解のもとである。因数の展開とは反対の作業であるという語感が全くない。むしろ因数構成ないし積算化といった方が正しいことになる。個別的な代数の集合、つまり加減方式によって乱雑で出たらめに羅列されている数式が、積の形式の掛け算に閉じ込められて、数式のエトロビーが圧縮される姿であるという理解がいる。861人の生徒からなる学校というよりも、3学年×41人学級×7クラスからなる学校と表現した方が余程考えやすいという意味である。
 反対にたとえば無限に存在するという素数群は、自らを足し算として表現されることは受容するが、掛け算の形式での表現は一切拒否する。万が一にも積の形にされたとしたら素数としては身の破滅であり、もはや素数たりえず素数としての自己主張は不可能である。
 数学の教科書には間違いはないが様々な不備がある。生徒の素朴な疑問に応えずに、次々と原理を宣言し階段を登らせようとする形式をとるからだ。階段には踊り場というものが有るのであって、そこで一息ついた説明が不足している。これを教えることが数学であって、そのことを欠いては数学の興味が欠けるのである。応急的には先生の補完がいる。たとえば教科書の巻末には、語呂合せで覚えるルートの一覧表、三角函数の各角度、小数値、常用対数表などが載っているはずである。しかし、これらがどういう原理と手続で算出されるのか、何に役立つのかについて、うまく教えることのできる先生は少ない。

(2018.6月 記)