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1320号 大都会の物語

2018年06月13日(水)

 最近「大都会の誕生」(ちくま学芸文庫 2018年4月)という文庫本が出版された。ロンドンとパリの社会史についての本であり、ロンドン篇を川北稔氏(1940~大阪大学名誉教授)、パリを喜安朗氏(1931年 日本女子大学名誉教授)が分担されて執筆されたものである。30年以前の書物(1986年 有斐閣)の復刻であるが、若干の増補部分が加わっているという説明が巻末になされている。
 喜安朗氏はトクヴィル回想録「フランス二月革命の日々」(岩波文庫)の訳者であり、他にポピュラーなものを挙げれば「パリ―都市統治の近代」(岩波文庫)の著者でもある(エッセイ505号参照)。
 しかし、こうした日本でいえば江戸時代の頃のヨーロッパの首都を中心とした社会史や民衆運動を取扱った作品は、それ自体の読み物としては面白いところもあるのだが、さて今の日本の首都のことや大都市と地方の問題を考える際に参考となりうるかといえば、直接的にはむずかしい要求になる。
 今回はこの二都物語の本文は眺めるだけにして、むしろ著者(今回は川北稔氏)の「あとがき」を読んだ方がこの点の問題意識がよくわかるので、取りあげる。
 まず1980年代後半に出版された原著のときの「あとがき」―世界政府のメトロポリス、なぜロンドン史か(川北稔)―から引用をする。
 「問題は、人口の比率だけではない。今日では、たとえ景観や人口密度のうえでは『農村』といえるところに行っても、かつてのような『田舎の人』に出会うことは至難である。常識的な言い方ではあるが、テレビをはじめとするマスコミ、ジャーナリズム、自動車、電話、それにおそらく各種の電化製品などが、日本中から『田舎の人』をほとんど一掃してしまったからだ。」(291-292頁)
 「ところで、都市のステイタス体系や価値感が優越するということは、階級関係をはじめとする現代のいろいろな人間関係、社会関係もまた、主としては『都市』のいろいろなトポスにおいて実現されるということでもある。」(293頁)
 「しかし、都市の問題は『都市と農村』というかたちでさえみればよい、というものでもない。都市を国家のなかの一地域としてばかりみることも、適切ではない。都市と都市との間には、いわば国際関係にも似た都市相互の『関係』があるし、そうした『都市間システム』は、一国内にとじ込められたりしてはいないからである。」(293頁)
 「いまでは東京がニューヨークの地位を脅かしている、という意見もあるかもしれないが、工業生産などの次元よりは金融の次元を、()()高度な資本主義のエッセンスとして重視するブローデルなら、そうは言わないだろうと思われる。」(294頁)
 「ブローデルのように、金融の次元を重視して考えるかぎり、いまでも東京とニューヨークの関係は、16世紀のロンドンとアントウェルペンのそれに近いのかもしれない。しかし、その差は急速に縮まっているし、他方では東京の『寄生都市』化の兆候も明白である。いわゆる『イギリスの平和』の時代以降におけるロンドンの世界的位置に注目せざるをえない理由がここにある。その際、問題の核心が労働力流入の自由化―『経済摩擦』の極限にくるもの―にあることも、あらためていうまでもない。」(298頁)
 大略以上のような観察などが述べられてノ後、30年余りが経過しているのだが、今回の「ちくま学芸文庫版へのあとがき」(2018年2月 川北稔)では要約こう述べられる(一部引用)。
 30年以上が経過して、歴史をとりまく研究環境も出版界の状況も著しく変化した。その当時(20世紀の最後の四半世紀)は、いまにして思えば歴史研究の黄金時代であった。「社会史」と総称された歴史研究の多様な潮流が生まれ、出版が次々なされた。それに比して「大学改革」を経過したいまは、人文学の「冬の時代」であり、「目立った研究集団の台頭も、新たな問題提起もみあたらない」(305頁)。にもかかわらず現実の歴史は着実に動いており、歴史的思考の必要性はますます強まっている。「問題のひとつは世界中、いたるところで人びとの生活の基盤が農村から都市、とりわけ大都市に移行しつつあることである。資源・環境問題はたんなる人口増加というよりは、都市化に伴う過密と過疎化に起因する問題でもある。」(同頁)
 「政治もまた、その主たる展開の場を、名望家の支配する農村から金融と情報の中心としての巨大都市に移している。とすれば、21世紀の新しい歴史学は、巨大都市を対象として構想されなければなるまい。」(306頁)、と述べる。

(2018.5.19 記)