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イッセイエッセイ

1319号 長寿な国

2018年06月13日(水)

 人間も年齢を重ねてくると様々なものがよく見えるように思うのは手前勝手なことなのであるが、たしかに年寄りの知恵や年の功というものも有るには有るだろう。しかし、いまやその知恵も肝心の実行に移すための能力に欠けることが多く、大した知恵とはならぬ。
 そもそも知恵らしきものは後の世代に伝えることは可能であるが、人格が異なるうえに世代もズレが生じてしまうので、できても不完全な形でしか承継されない。
 これを民族に話しを広げてみよう。聖書の言葉はイスラエルの民が書き残した記録である。その文字が、知恵に満ち真理を伝えていると受けとめられるようになったなら、読者の心の内にも必要な経験と知恵が積み重ねられていた結果から来るものであろう。
 このようなイスラエル民族の歴史と伝承してきた諸々の言葉が、世界への遺産であるということは、とりもなおさず彼らが民族として長寿を重ねてきたということの何よりの証拠となる。一時的に強力な民族として隆盛を極めても、またたく間に衰退し滅亡してゆくような民族も歴史上に数限りなくあったのだから。またそれが故に彼らは知恵ある言葉を書き残すことはできなかった。
 指導者や予言者がたいてい白髪有髯の長老として登場するのは、指導者の人格に民族の年齢が投影されているためであろう。希に奇跡な成功を収める若者が登場することもあるが、特定の場面に限られている。
 日本もユダヤの民ほどではないが、民族的には途絶えることのない長い歴史と文化、統一的なアイデンティティーをもっている。多くの諸国の歴史と比較してわかることはこの事実であって、わが国が非常に数少ない長寿な国であることを知るのでありこの当り前の事実の長所と欠点の自覚が必要なのである。

(2018.5.13 記)