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イッセイエッセイ

1316号 カラオケと連歌

2018年05月08日(火)

 日本でカラオケが普及しはじめたのは昭和50年代半ばである。つまり1980年代的な現象であった。
 めいめいが勝手にカラオケを脈絡なく唱って行くなら、これは単なるカラオケの飲み会ということになる。しかし誰かの唱った歌に対し何らかの呼応をして、次の歌い手が関連させたカラオケ曲に挑戦するとなると、それはやや歌合風になる。世の中に歌は古今東西数え切れずあり、その様子は自然の森羅万象にほとんど似ているであろう。そうした無数の歌の中から前の歌に合わせて面白く次の歌を見つけ、次々に歌手が次の歌を引き継いでいくとするならば、和歌や俳句の創作の分野とは別世界だけれども、「歌」を介した寄合い文化の関係であることには変りない。カラオケの座持ちと組合せが、だんだん一種の芸能に近くなり、将に江戸期に大いに発展成熟した連歌に類した大衆文芸というものになるのではないか。

「論語」第七(述而篇)十三章
  「子、斉に(いま)して(しょう)を聞く。三月(さんがつ)、肉の味を知らず。(はか)らざりき、(がく)を為すことの(ここ)に至らんとは。」

 孔子は紀元前六世紀後半、()の昭公の亡命に従って斉の国に行った(孔子三十六歳)。その時、同国で未知の韶の舞曲の演奏を聴いた。孔子は音楽好きであり、感激のあまり三か月間も肉の味がわからなくなった程である、とこの文章を儒学者は解する。歴史家司馬遷は散文的に解して、寝食を忘れて三か月間、一生懸命にこの楽曲を勉強したと伝える。
 孔子は、音楽が時代の文化と政治とをもっともよく表現していると考えた(貝塚茂樹・訳注から)。

(2018.4.30 記)