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1315号 人の移住の決意について

2018年05月08日(火)

 今日の天気は一日中雨降りであり、飛行機も全くの白雲の中である。園遊会があす催されるので上京する。
 機内オーディオを飛行途中から聴きながら機内誌を眺める。むぎ焼酎で有名な九州大分の酒造会社が、全国の郷土料理百選とコラボレーションして、毎月各号で焼酎を傍らにおいて各地名物料理の食べ比べ礼賛する紙面なのである。今月号は愛媛県の「じゃこ天」であり、焼酎とともに登場している。昨年は松山へ国体で三度も行くことになり、夕飯はこのジャコテンがいつも出てきたのである。鮮魚中心の福井では半ペンと呼ぶべきものかもしれないが、素朴な味わいをもつ伝統の練り製品である。
 なぜ四国でこうした名産品が生まれたか、コマーシャルをかねた機内誌の軽妙な解説によれば、「1600年代に、宇和島藩の初代藩主が仙台から職人を呼び寄せて作らせたのが始まりだといわれる。」とある。
 幕末なら四賢公の殿様の所である。
 大体において全国の名産の由来にはこのような調子の物語がつきものであるが、それにしても美味しそうな皿に盛られたじゃこ天だ。スダチが半分に切って添えられ、奥のほうに生姜醤油の小皿までがぼんやり映っている。
 実はここで述べたいのは食い物の話しではない。
 いつもならおそらく気にもならない「・・を呼び寄せて・・」という文言のところに引っ掛かったのである。いま日本中で人口が減る人材が減る等々と騒いでおり、全国各地の自治体は、人々を競って地元に引っぱることに専念している。伝統の一品はともかく、宇和島藩主は江戸の昔、どのような言葉と策略によって職人たちを「呼び寄せる」ことに成功したのであろうか。つまり移住作戦という点に関心を持ったのである。
 昔の殿様だから、出身の藩でもあり何の困難もないでははないか、というような時代劇風な発想はやや単純で早計ではないかと思った。幕藩封建の世とはいえ、何らかの物心両面のインセンティブがなければ奥州の伊達から職人たちが四国の南伊予まで一家を挙げて移住し、あるいは一時居住しようと決意したとは思えないからである(郷土史を調べると実態がわかるであろうか)。
 いわんや今の世の中、さまざま工夫をして奨学金を給付したり支援金を出したりして、あの手この手で地方移住を誘ってはいるが、成功の道ははなはだ険しいものがある。
 そもそも人間はどのようにしてある場所からある土地へ移住する決意を抱くのであろうか。身分や地域に縛られていた江戸期の日本人のほうが、現在のわれわれよりフットワークが良かったなどとは言えないであろう。もともとの宇和島の殿様と家臣団自身が、その意思とはかかわりなく、東北地方から四国に移住させられた時代であった。地域への帰属意識の強弱とか、移住におけるB/Cの計測などをどう解決して旅立ちをしたのであろうか興味のつきないところだ。

(2018.4.24 記)