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イッセイエッセイ

1306号 左右

2018年04月04日(水)

 「左右」というのは、極めて身体的な概念であり相対的なところがあるから、絶対の意味づけを与えるのは難しい。
 たとえば「ひだり」とは“南を向いた時、東にあたる方”、というのが代表的な辞書である「広辞苑」(岩波書店)の定義である。また「大辞泉」(小学館)によれば“東に向いたとき北にあたる方。大部分の人が食事のとき茶碗を持つ側”などと説明する。後者の解説は新しい辞書のせいか、やや精彩を欠く感じがする。従って「みぎ」の説明はどうなるのかとなると、その反対の言い方になるのだろうが、茶碗の代りに箸とならざるをえなくなり、苦笑をもよおす説明になる。
 いま左右を身体的な概念と断定したが、例にあげた二冊の辞書にも身体という言葉は使われていないものの、背後には身体性が隠れている。体の向き、ないし日常の体の動作が前提となった説明が無意識に行われている。
 ここで判然と身体的定義を与えるとするなら、「ひだり」とは、「体の心臓のある側」と言う説明が究極の定義かと思われる。
 ラジオ体操をしながら、集中すればよいのだが、しばしば雑念が入ってくる。両腕を体の前でクロスするとき、いつも右手が左手の前に自然に行く。あるいは首の運動をするとき、初めに左側に傾けるのはどうしてかなどと考えることがある。ラジオのアナウンサーがそう指示するからだけではあるまい。あるいは上半身を左右に湾曲させるとき、先に右の脇腹を伸ばすのはなぜだろうか等々である。これらはすべて右利きの人の習慣のためであろうから、右側から左側に向って運動が始動し、右手がより前方に出る訳なのである。体操をしながらこんなことを意識するので、集中できずストレッチの効果もうすくなる。そこで時々、左右逆にして運動をしてクセを変えてみることがあるが、どうもぎこちなくなる。しかし体の使わないところが珍しく動いている感覚が生まれ、そんなにも悪くもないのである。
 このほか凡ゆるところに左右の違いの習慣が出来上がっているのだが、ほとんど意識に上ることはない。戯れて左右不覚の動作を試みると、上に言ったようにみずから困難や不可能の事態を招くことになる。人間以外の動物に左右の概念や動作があるのかどうかの観察をしたことがないのでわからない。しかし動物一般において内臓の位置が、外形とはちがって内部では非対称なのであるから、これに応じた左右の運動機能には動物に共通項があると考えるのが普通ではないだろうか。

(2018.3.29 記)