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1303号 外交における現実主義と理想主義(続)

2018年03月25日(日)

 日本が近代国家になって後に諸外国と締結した条約は、1902年の日英同盟、1907年の日露協商、1940年の日独伊三国同盟、そして1951年(1960年改定)の日米安保条約の四つがあるそうだ(これを知って意外と少ない感じがしておどろく)。
 条約に関しては二つの国の間で軍事同盟が結ばれても、いざ危機の時に頼みとする助けが相手から得られなかったり、あるいは期待とは逆に相手のために争いに巻き込まれたりするというリスクが付きまとう。これを国際政治の理論では「同盟のディレンマ」と称するそうだ。
 以上のようなことが日米同盟における日本の立場を米国への「忠誠と反逆」という見方(前号参照のこと)で論じている土山實男教授(青山学院大)のパンフレットに書かれていた(「国際問題」No.644 2015年9月 日本国際問題研究所)
 この「忠誠と反逆」というキーワードは、政治学者の丸山眞男が、幕末維新における徳川幕府に対する従順と討幕という諸藩の大転換に対して用いた語であると説明している。そして1951年の「日米同盟(旧条約)」は、同盟というよりも米国の基地(租借)条約であり、1960年に改定された新安保条約において初めて米国は日本の防衛についてもコミットすることとなったと教授は述べる。

 モンテスキュー(1689-1755年)は、『ローマ人盛衰原因論』(1734年)の中で、あらゆる諸民族を服従させるためにローマ人がとった過酷なやり方について説明している(同著第6章)
 「ローマ人は、決して誠実な講和を結ぼうとせず、その条約は、あらゆるところに侵入するという意図において、もともと戦争の一時停止にすぎなかったから、その中には、条約を受け入れた国家の破壊につながる諸条件を常に含ませていた。」(同書70頁 岩波文庫)
 ヘーゲルも『歴史哲学』において、ギリシャとは対照的にローマに対しては、次のようなことを言う。ローマの政治手法に対してヘーゲルはほとんど好意を示していない。
 「ローマ人のイタリアにおける戦の跡を逐一述べることは退屈なことだろう。その理由は1つには、これらの戦いは1つ1つとしてはちっとも重要なものではないからである。・・・いま一つの理由は、ローマの歴史家が才気に乏しく、気の抜けている点である。・・・ただその描写からわかる1つ面白い点は、世界史の偉大な権利を自分で握っているローマ人が、些細な損害に対しても一々宣言文や条約文を引合いに出して小さな権利を主張し、これをまるで弁護士でもがやるように、ほじくり廻して要求を持ち出している点である。」(『歴史哲学』第三部第一篇第二章Ⅲ-4「外戦とローマの性格」から)
 古代ローマに対峙し、あるいは従属した同時代の諸民族(国家)は、結局のところ「忠誠と反逆」の狭間に苦しみながら弱体化させられ、従属国となり、ないしは滅亡したのである。
 「あらゆる民族に自分たちの法律や慣習を押し付けようとするのは征服者の愚行である。それには何のよいこともない。なぜなら、どんな統治形態の下でも、従属することはできるからである。」(モンテスキュー前掲書70頁)

(2018.3.10 記)